葉隠 / 聞書第二
湛然和尚御申し候は、「常に氏神と心を釣り合うて居り申すべく候。運強くあるべく候。」と指南の由。
書き下し
湛然(たんねん)和尚御申し候は、「常に氏神(うじがみ)と心を釣り合うて居り申すべく候。運強くあるべく候。」と指南の由。
現代語訳
湛然和尚が言われるには、「常に氏神と心を釣り合わせて生きているのがよい。そうすれば運も強くなるだろう」と指南されたということである。
解説
湛然和尚の短い教えを伝えた条です。核心は「常に氏神と心を釣り合わせて居れ」という一言にあります。氏神とは土地や一族を守る神で、その神と心を通わせ、恥じない生き方をしていれば、自然と運も強くなるという教えです。ここには、神仏に見られているという意識が日々の行いを正し、後ろ暗さのない心が結果として幸運を呼ぶ、という信念が込められています。神頼みで運を得るのではなく、神と釣り合う清らかな心を保つことが運の土台だという考え方です。現代でも、常に誰かに見られていると思って恥じない行動を積み重ねることが、めぐりめぐって信頼や好機を引き寄せる、という形で通じる、静かな処世の知恵といえます。
この章句が説くこと
葉隠氏神運恥じない心神仏の意識湛然和尚
関連する章句
-
葉隠・聞書第二湛然和尚風鈴を懸け置かれ、「音を愛するにてはなし、風を知りて火の用心すべき為なり。大寺を持つ気遣いは火の用心ばかりなり。」と御申し候。風吹きには自身夜廻りなされ、一生火鉢の火を消されず、枕元に行燈(あんどん)、附木(つけぎ)取揃え置き、「俄(にわか)の時ろたえて、火を早く立つる者なきものなり。」と御申し候。
-
葉隠・聞書第二神は穢(けがれ)を御嫌いなされ候由(そうろうよし)に候えども、一分(いちぶん)の見立てにこれありて、日拝(にっぱい)忘り申さず候。その仔細(しさい)は、軍中(ぐんちゅう)にて血を切りかぶり、死人乗越え乗越え働き候時分(じぶん)、運を祈りならば詮(せん)なき事と、しかと存じ極め、穢の構いなく拝仕(おがみつかまつ)り候由。
-
葉隠・聞書第十一矢違(やちが)い守りの事。名ある強敵(きょうてき)の矢に中(あた)らんとて進む者には神仏の加護がある。敵の矢向(やむき)に中るまじと思う者には加護なし。雑人(ぞうにん)ばらの矢に中らず、名ある者の矢向にかかるべしと思う者には、守護願(しゅごがん)の如くこれある由なり。
-
葉隠・聞書第二帰り新参などは、さても鈍(にぶ)になりたると見ゆる位がよし。しっかりと落ち着いて動かぬ位があるなり。御譜代(ごふだい)の忝(かたじけな)さ、有難き御国なることは、気の附くほど御恩が重くなるなり。斯様(かよう)に行き当りてよりは、浪人などは何げもなきこととなり。この主従の契(ちぎり)より外には、何もいらぬこととなり。この事はまだなりとて、釈迦・孔子・天照大神の御出現にて御勧めにても、地獄にも落ちよ、神罰にもあれ、此方(こなた)は主人に志立つるより外はいらぬなり。悪くすれば神道の、仏道のと云い、結構な打ち上がった道理に転ぜらるるものなり。仏神も、これをわるしとは、思召さるまじきなりと。
-
葉隠・聞書第二人に出会い候時は、その人の気質を早く呑込み、それぞれに応じて会釈あるべき事なり。その内、理堅く強勢の人には随分折れて取合い、角立たぬ様にして、間に相手になる上手(じょうず)の理を以て言い伏せ、その後は少しも遺恨を残さぬようにあるべし。これは胸の働き、詞(ことば)の働きなり。何某(なにがし)へ和尚出会の意見、口達(こうたつ)あり。
-
葉隠・聞書第二当念を守りて気をぬかさず、勤めて行くより外に何も入(い)らず、一念一念と過す迄(まで)なりと。