葉隠 / 聞書第二
剛と臆と云ふものは、平生當りて見ては當らず。別段にあるものなり。
新字:剛と臆と云ふものは、平生当りて見ては当らず。別段にあるものなり。
書き下し
剛と臆と云ふものは、平生当りて見ては当らず。別段にあるものなり。
現代語訳
剛胆か臆病かは、平生の様子から推し量ってもわからず、別のところにあるものだ。剛胆さと臆病さというものは、日頃の振る舞いから見当をつけてもその通りにはならない。それらは平生とは別のところにあるのである。
解説
剛胆な人か臆病な人かは、平生の言動を見ても正しくは判断できない、と説く短い一条です。普段は勇ましく見えた者がいざというとき腰砕けになり、逆に目立たぬ者が土壇場で肝を据える——そうした逆転はしばしば起こります。人の真の胆力は「別段にあるもの」、つまり日常の印象とは別の次元にあり、本当の危機に直面して初めて表れる、というのです。人物を平時の見かけで評価することの危うさを突いた洞察であり、他人を見る目にも、自分を過信しない戒めにもなります。現代でも、リーダーの真価が非常時に問われるという形で、そのまま通じる指摘です。
この章句が説くこと
葉隠剛と臆胆力人物評価非常時見かけ
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