葉隠 / 聞書第二
奉公人は、心入一つにてすむことなり。分別藝能にわたれば、事むつかしく、心落着かぬものなり。又業にて御用に立つは下段なり。分別もなく、無藝無男にて、何の御用にも立たず、田舎の果にて、一生朽ち果つるものか、我は殿の一人被官なり、御懇にあらうも、御情なくあらうも、御存じなさるまいも、それには曾て構はず、常住御恩の忝なき事を骨髄に徹し、涙を流して大切に存じ奉るまでなり。これは易きことなり。これがならぬ生附とてはあるまじ。又此の如く思ふまい事ではなし。長け高き御被官なり。戀の心入の様なる事は稀なるものなり。情なくつらきほど、思ひを増すなり。適にも逢ふ時は、命も捨つる心になり、忍戀などとそよき手本なれ。一生言出す事もなく、思死する心入は深き事なり。又自然に僞に逢ひても、當座は一入悦び、僞の顯るれば、尚深く思入るなり。君臣の間斯くの如くなるべし。奉公の大意、これにて瞭明なり。理非の外なるものなり。
新字:奉公人は、心入一つにてすむことなり。分別芸能にわたれば、事むつかしく、心落着かぬものなり。又業にて御用に立つは下段なり。分別もなく、無芸無男にて、何の御用にも立たず、田舎の果にて、一生朽ち果つるものか、我は殿の一人被官なり、御懇にあらうも、御情なくあらうも、御存じなさるまいも、それには曽て構はず、常住御恩の忝なき事を骨髄に徹し、涙を流して大切に存じ奉るまでなり。これは易きことなり。これがならぬ生附とてはあるまじ。又此の如く思ふまい事ではなし。長け高き御被官なり。恋の心入の様なる事は稀なるものなり。情なくつらきほど、思ひを増すなり。適にも逢ふ時は、命も捨つる心になり、忍恋などとそよき手本なれ。一生言出す事もなく、思死する心入は深き事なり。又自然に偽に逢ひても、当座は一入悦び、偽の顕るれば、尚深く思入るなり。君臣の間斯くの如くなるべし。奉公の大意、これにて瞭明なり。理非の外なるものなり。
書き下し
奉公人は、心入(こころいれ)一つにてすむことなり。分別(ふんべつ)芸能にわたれば、事むつかしく、心落着かぬものなり。又業(わざ)にて御用に立つは下段(げだん)なり。分別もなく、無芸無男(むげいぶなん)にて、何の御用にも立たず、田舎の果にて、一生朽ち果つるものか、我は殿の一人被官(ひとりひかん)なり、御懇(ごねんごろ)にあらうも、御情(おなさけ)なくあらうも、御存じなさるまいも、それには曾(かつ)て構はず、常住御恩の忝(かたじけ)なき事を骨髄に徹し、涙を流して大切に存じ奉るまでなり。これは易きことなり。これがならぬ生附(うまれつき)とてはあるまじ。又此の如く思ふまい事ではなし。長(た)け高き御被官なり。恋の心入の様なる事は稀なるものなり。情なくつらきほど、思ひを増すなり。適(たま)にも逢ふ時は、命も捨つる心になり、忍恋などとぞよき手本なれ。一生言出す事もなく、思死(おもいじに)する心入は深き事なり。又自然に偽(いつわり)に逢ひても、当座は一入(ひとしお)悦び、偽の顕るれば、尚深く思入るなり。君臣の間斯くの如くなるべし。奉公の大意、これにて瞭明(りょうめい)なり。理非の外なるものなり。
現代語訳
君臣の間柄は忍ぶ恋のようであれ。奉公の本義は損得や理屈の外にある。奉公人というものは、心の入れ方一つで足りるのだ。あれこれ分別や芸能に走ると、かえって事が難しくなり、心が落ち着かない。技芸で役に立とうとするのは下の段である。分別もなく、無芸で不器量で、何の御用にも立たず、田舎の果てで一生朽ち果てるとしても、自分は殿ただ一人の家来である。手厚くされようと、情けをかけられまいと、存在すら知られていなかろうと、そんなことには一切構わない。常に受けている御恩のありがたさを骨の髄まで感じ、涙を流して大切にお慕い申し上げるだけだ。これはたやすいことである。できぬ生まれつきなどありはしない。またこう思えぬこともない。それは最高の家来だ。だが恋のような心の入れ方をする者は稀である。つれなく、つらいほど、かえって思いは募る。たまに逢えたときには命も捨てる気になる、忍ぶ恋こそよき手本だ。一生打ち明けることもなく、思い焦がれて死ぬ心の入れ方は深いものだ。また、たとえ偽りに欺かれても、その場はいっそう喜び、偽りが露見すれば、なおいっそう深く思い入る。君臣の間もこうあるべきだ。奉公の本義は、これではっきりする。理屈や損得の外にあるものなのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第二此の事此の中(このうち)も承り候。此の節の御話斯くの如きなり。恋の部(くだ)りの至極(しごく)は忍恋(しのぶこい)なり。「恋死(こいし)なむ後の煙のそれと知れ終(つい)にもらさぬ中の思ひ」はかくの如きなり。命の内に、それと知らするは深き恋にあらず、思死の、長(た)けの高き事に限りなし。たとえ、向(むこう)より、「斯様(かよう)にてはなきか。」と問われても、「全く思いもよらず。」と云いて、唯(ただ)思死に極むるが至極なり。廻(まわ)り遠き事にてはなく候や。此の前語り候えば、請合(うけあ)う者共ありしが、其の家中を煙仲間(けむりなかま)と申し候なり。此の事、万(よろ)ずの心得にわたるべし。主従の間など、此の心にて済むなり。又人の陰(かげ)にて嗜(たしな)むが即ち公界(くがい)なり。独り居るくらがりにて、賤(いや)しき挙動をなさず、人の目にかからぬ胸の内に、賤しき事を思わぬ様に、心がけねば公界にて綺麗には見えず、俄(にわか)に嗜みては垢(あか)が見ゆるものとなり。
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葉隠・聞書第一奉公人は一向(いっこう)に主人を大切に歎(なげ)くまでなり。これ最上の被官(ひかん)なり。御当家御代々(ごだいだい)、名誉の御家中(ごかちゅう)に生れ出(い)で、先祖代々御厚恩(ごこうおん)の儀を浅からぬ事に存じ奉(たてまつ)り、身心(しんしん)を擲(なげう)ち、一向に歎き奉るばかりなり。この上に智慧(ちえ)・芸能もありて相応相応(そうおうそうおう)の御用に立つは猶(なお)幸(さいわい)なり。何の御用にも立たず、不調法千万(せんばん)の者も、ひたすらに歎き奉る志さえあれば、御頼み切りの御被官なり。智慧・芸能ばかりを以て御用に立つは下段(げだん)なり。
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葉隠・聞書第二奉公は、色々心持これありと相見え、大体にては成り兼ね申すべし。」と申し候えば、「左様にてなし。生付(うまれつき)の分別にて済むものなり。安き事なり。その中、御家中下々までの為になるようにと思うてするが、上への奉公なり。不了簡(ふりょうけん)の出頭人(しゅっとうにん)などは、上の御為になるとて、新儀を企て、下の為にならぬ事は構わず、下に愁い出来(しゅったい)候ようにいたし候。これは第一の不忠なり。御家中下々、皆殿様のものにて候。又上よりは御慈悲にて済むものなり。その時は礎も御慈悲になるなり。
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葉隠・聞書第二万事、実(じつ)一つにて仕(し)て行けば済むものなり。其の中に奉公人は御側(おそば)、外様(とざま)、大身(たいしん)、小身(しょうしん)、古家(ふるいえ)、取立(とりたて)などに付て、それぞれに、少しづつの心入(こころいれ)は替わるべし。御前(ごぜん)近き奉公などは、差し出でたること第一わろきなり。大人(たいじん)の御嫌い候ものなり。御前の仕事は成程(なるほど)引き取りて、あれにては埒(らち)が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召(おぼしめ)さるる位がよきなり。さて、先役(せんやく)はもとより、同役を成程御用に立つ様に仕(し)なし、若し病気差支(さしつかえ)役替りなどの時、御事欠き候に付て、我が身勤め候様に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兎角(とかく)忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭(はやしゅっとう)、のうぢなきものなり。古来例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖(さき)に申し上げたる事なし。玆(ここ)には、いから心得ある事に候となり。
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葉隠・聞書第一山崎蔵人(くらんど)の、見え過ぐる奉公人はわろしと申されたるは名言なり。忠の不忠の、義の不義の、当介(とうがい)の不当介のと理非邪正(りひじゃしょう)の当りに、心の附くが嫌なり。無理無体(むりむたい)に奉公に好き、無二無三に主人を大切に思えば、それにて済むことなり。これはよき御被官(ごひかん)なり。奉公に好き過ぎたるは悪しきと申し候えども、奉公ばかりは奉公人ならば好き過ぎ、過(とが)あるが本望なり。理の見ゆる人は、多分少しの所に滞り、一生をむだに暮し、残念の事なり。誠に儚(はかな)き一生なり。只々無二無三がよきなり。二つになるが嫌なり。万事を捨てゝ、奉公三昧に極りたり。忠の義のといふ、立ち上りたる理窟が返す返す嫌なり。
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葉隠・聞書第一今時(いまどき)の奉公人を見るに、いかにも低い眼(め)の着け所である。掏摸(スリ)の目遣(めづか)いの様である。おおかた、身のための欲得か、利発(りはつ)だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構えをするばかりである。我が身を主君に奉り、速(すみ)やかに死に切って幽霊になりて、二六時中(にろくじちゅう)、主君の御事(おんこと)を歎き、事を整えて進上申し、御国家を堅むると云う所に眼を着けねば、奉公人とは言われぬなり。上下(じょうげ)の差別(しゃべつ)あるべき様(よう)なし。此のあたりに、ぎしと居すわりて、神仏の勧めにても、少しも迷わぬ様(よう)覚悟せねばならず。