葉隠 / 聞書第二
此の事此の中も承り候。此の節の御話斯くの如きなり。戀の部りの至極は忍戀なり。戀死なむ後の煙のそれと知れ終ひにもらさぬ中の思ひはかくの如きなり。命の内に、それと知らするは深き戀にあらず、思死の、長けの高き事に限りなし。たとへ、向より、「斯樣にてはなきか。」と問はれても、「全く思ひもよらず。」と云ひて、唯思死に極むるが至極なり。廻り遠き事にてはなく候や。此の前語り候へば、請合ふ者共ありしが、其の家中を煙仲間と申し候なり。此の事、萬づの心得にわたるべし。主從の間など、此の心にて濟むなり。又人の陰にて嗜むが卽ち公界なり。獨り居るくらがりにて、賤しき擧動をなさず、人の目にかゝらぬ胸の内に、賤しき事を思はぬ樣に、心がけねば公界にて綺麗には見えず、俄に嗜みては垢が見ゆるものとなり。
新字:此の事此の中も承り候。此の節の御話斯くの如きなり。恋の部りの至極は忍恋なり。恋死なむ後の煙のそれと知れ終ひにもらさぬ中の思ひはかくの如きなり。命の内に、それと知らするは深き恋にあらず、思死の、長けの高き事に限りなし。たとへ、向より、「斯様にてはなきか。」と問はれても、「全く思ひもよらず。」と云ひて、唯思死に極むるが至極なり。廻り遠き事にてはなく候や。此の前語り候へば、請合ふ者共ありしが、其の家中を煙仲間と申し候なり。此の事、万づの心得にわたるべし。主従の間など、此の心にて済むなり。又人の陰にて嗜むが即ち公界なり。独り居るくらがりにて、賤しき挙動をなさず、人の目にかゝらぬ胸の内に、賤しき事を思はぬ様に、心がけねば公界にて綺麗には見えず、俄に嗜みては垢が見ゆるものとなり。
書き下し
此の事此の中(このうち)も承り候。此の節の御話斯くの如きなり。恋の部(くだ)りの至極(しごく)は忍恋(しのぶこい)なり。「恋死(こいし)なむ後の煙のそれと知れ終(つい)にもらさぬ中の思ひ」はかくの如きなり。命の内に、それと知らするは深き恋にあらず、思死の、長(た)けの高き事に限りなし。たとえ、向(むこう)より、「斯様(かよう)にてはなきか。」と問われても、「全く思いもよらず。」と云いて、唯(ただ)思死に極むるが至極なり。廻(まわ)り遠き事にてはなく候や。此の前語り候えば、請合(うけあ)う者共ありしが、其の家中を煙仲間(けむりなかま)と申し候なり。此の事、万(よろ)ずの心得にわたるべし。主従の間など、此の心にて済むなり。又人の陰(かげ)にて嗜(たしな)むが即ち公界(くがい)なり。独り居るくらがりにて、賤(いや)しき挙動をなさず、人の目にかからぬ胸の内に、賤しき事を思わぬ様に、心がけねば公界にて綺麗には見えず、俄(にわか)に嗜みては垢(あか)が見ゆるものとなり。
現代語訳
恋の究極は忍ぶ恋である。「恋い死んだ後の煙で、それと知ってくれ、ついに口には出さぬ胸のうちの思いを」という歌のとおりだ。生きているうちに相手にそれと知らせるのは深い恋ではない。思いを秘めたまま死ぬ、その気高さは限りない。たとえ向こうから「こうではないか」と問われても、「まったく思いもよらぬこと」と答え、ただ思いを秘めて死ぬのが究極である。回りくどいようだが、そうではあるまい。この話をしたところ賛同する者たちがいて、その仲間を「煙仲間」と呼ぶ。この心得はあらゆる事に通じ、主従の間もこの心で足りる。また、人の見ていない陰でこそ身を慎むのが本当の公の場だ。独りきりの暗がりでも卑しい振る舞いをせず、人目につかぬ胸のうちにも卑しい思いを抱かぬよう心がけねば、公の場で美しくは見えない。急に取り繕っても垢は見えてしまうものだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節楚の平王、奮揚をして太子建を殺さしむ。未だ至らざるに之を遣る。太子宋に奔る。王奮揚を召し、城父の人をして之を執えて以て至らしむ。王曰わく、「言予が口より出でて、爾が耳に入る、誰か建に告げしや」と。対えて曰わく、臣之に告げたり。王初め臣に命じて曰わく、「建に事うること予に事うるが如くせよ」と。臣佞ならず、貳する能わず。初めを奉じて以て還り、故に之を遣る。已にして之を悔ゆるも、亦及ぶ無し、と。王曰わく、「而敢えて来たるは、何ぞや」と。対えて曰わく、「使いして命を失えば、召されて来たらず、是れ過を重ぬるなり。逃るるも入る所無し」と。王乃ち之を赦す。
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説苑・立節斉人に子蘭子なる者有り。白公勝に事う。勝将に難を為さんとし、乃ち子蘭子に告げて曰わく、「吾将に大事を国に挙げんとす、子と共にせんことを願う」と。子蘭子曰わく、「我子に事えて子と与に君を殺すは、是れ子の不義を助くるなり。患を畏れて子を去るは、是れ子を難に遁るるなり。故に子と与に君を殺して以て吾が義を成さず、領を庭に契りて、以て吾が行いを遂げん」と。
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葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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葉隠・聞書第一楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。
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論語・季氏篇孔子曰く、天下に道有れば、則ち礼楽征伐は天子より出づ。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐は諸侯より出づ。諸侯より出づれば、蓋し十世にして失わざるは希なり。大夫より出づれば、五世にして失わざるは希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失わざるは希なり。天下に道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下に道有れば、則ち庶人は議せず。