葉隠 / 聞書第二
人間は何とよくからくつた人形ではないか、明年の盆には客道すがら、何とよくからくつた人形ではなきや。絲を附けてもなきに、歩いたり、飛んだり、はねたり、物迄も言ふは上手の細工なり。來年の盆には客にぞなるべき。さても、あだな世界かな、忘れてばかり居るぞと。
新字:人間は何とよくからくつた人形ではないか、明年の盆には客道すがら、何とよくからくつた人形ではなきや。糸を附けてもなきに、歩いたり、飛んだり、はねたり、物迄も言ふは上手の細工なり。来年の盆には客にぞなるべき。さても、あだな世界かな、忘れてばかり居るぞと。
書き下し
人間は何とよくからくった人形ではないか、明年(みょうねん)の盆には客。道すがら、何とよくからくった人形ではなきや。糸を附けてもなきに、歩いたり、飛んだり、はねたり、物までも言うは上手(じょうず)の細工なり。来年の盆には客にぞなるべき。さても、あだな世界かな、忘れてばかり居るぞと。
現代語訳
道を歩きながら思う。人間とは、何とよくできたからくり人形ではないか。糸もついていないのに、歩き、飛び、跳ね、ものまで言うのは、名人の細工である。だがこの人形も、来年の盆にはあの世からの客(精霊)となっているかもしれない。まったく、はかない世界であることよ。人はそれを忘れてばかりいる、と。
解説
人間の身体を「糸なしで動く精巧なからくり人形」に見立てた、味わい深い無常観の一条です。歩き、跳ね、言葉まで話す見事な細工も、来年の盆には精霊、つまり死者となっているかもしれない。生命の巧みさへの感嘆と、その儚さへの静かな驚きが同居しています。「忘れてばかり居る」という締めくくりは、人が自らの有限性をつい忘れて日々を送ることへの気づきを促します。死を覚悟せよと繰り返す『葉隠』ですが、ここでは説教ではなく、命そのものの不思議とはかなさをしみじみ見つめる視線が印象的です。今この瞬間を大切にせよという、現代にも響く無常の詩情と言えます。
この章句が説くこと
葉隠無常観からくり人形命の儚さ死の自覚盆
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