葉隠 / 聞書第二
公儀方などは仕損じ候ても、無調法不調法などと言ひて、濟み申すべく候。今度、善忠樣常に、「武士は曲者さらし、胸を焦すべきよりはと、腹を切りたらば、せめてなるべし。これも命が惜しくむだ死などといひて生きる方の分別に仕かへ、今から先、五年か十年か廿年の間生きて後指さされ、恥をさらしみて死失せ、骸の上に恥をぬりつけ、子々孫々、咎もなきものも、緣によりて生れ來り、恥を受け先祖の名を下し、一門親類にも疵をつけ、無念千萬の次第に候。偏へに日頃心掛なく、武士とは何としたものやら夢にも存ぜず、うか〜と日を暮らし、割と云ふものなるべし。出し拔きに切られたる者は力及ばず、武運に盡きたるといふものなるべし。切りたる者は遁れぬ行懸りにて、殘らぬと思ふ心にて命を捨つるからは、どこといふ事は見えぬ筈なり。短氣にて不當介者といふなるべし。相手向二人はすくたれとはいはず。一座の者は生きて恥をかき、武士にあらず。その時が唯今と、かねて吟味工夫して押直して置かねばならぬ筈にて候。皆人油斷にて大方にも一生を過すは不思議の仕合せなりと申し候へば、武道は毎朝毎朝死習ひ、彼に附け是に附け、死にては見死にては見して、切れ切れて置く事一つなり。尤も大儀にてはあれども、すれば成る事なり。すまじき事にてはなし。文詞の勢が武邊の大事なり。今度も取留むれば上なり。手に餘らば打捨事にてはなし。取遁しては、「何某やらぬぞ、卑怯者遁ぐるか。」などと、時に應じ變に乘じ、詞を掛くる勢にて仕濟ますなり。何某目心〜候者と、かねて諸人の目にも乘り候が仕留めたり。とかく、かねて唯今がその時の證據なり。唯今がその時の吟味し置くべき事數多有るべきなり。横座の槍もこれなり。殿中殺害人は、若し取遁し、尤も後の御咎、科の儀は顧みず。」と、申すべき事に候。
新字:公儀方などは仕損じ候ても、無調法不調法などと言ひて、済み申すべく候。今度、善忠様常に、「武士は曲者さらし、胸を焦すべきよりはと、腹を切りたらば、せめてなるべし。これも命が惜しくむだ死などといひて生きる方の分別に仕かへ、今から先、五年か十年か廿年の間生きて後指さされ、恥をさらしみて死失せ、骸の上に恥をぬりつけ、子々孫々、咎もなきものも、縁によりて生れ来り、恥を受け先祖の名を下し、一門親類にも疵をつけ、無念千万の次第に候。偏へに日頃心掛なく、武士とは何としたものやら夢にも存ぜず、うか〜と日を暮らし、割と云ふものなるべし。出し抜きに切られたる者は力及ばず、武運に尽きたるといふものなるべし。切りたる者は遁れぬ行懸りにて、残らぬと思ふ心にて命を捨つるからは、どこといふ事は見えぬ筈なり。短気にて不当介者といふなるべし。相手向二人はすくたれとはいはず。一座の者は生きて恥をかき、武士にあらず。その時が唯今と、かねて吟味工夫して押直して置かねばならぬ筈にて候。皆人油断にて大方にも一生を過すは不思議の仕合せなりと申し候へば、武道は毎朝毎朝死習ひ、彼に附け是に附け、死にては見死にては見して、切れ切れて置く事一つなり。尤も大儀にてはあれども、すれば成る事なり。すまじき事にてはなし。文詞の勢が武辺の大事なり。今度も取留むれば上なり。手に余らば打捨事にてはなし。取遁しては、「何某やらぬぞ、卑怯者遁ぐるか。」などと、時に応じ変に乗じ、詞を掛くる勢にて仕済ますなり。何某目心〜候者と、かねて諸人の目にも乗り候が仕留めたり。とかく、かねて唯今がその時の証拠なり。唯今がその時の吟味し置くべき事数多有るべきなり。横座の槍もこれなり。殿中殺害人は、若し取遁し、尤も後の御咎、科の儀は顧みず。」と、申すべき事に候。
書き下し
公儀方などは仕損じ候ても、無調法・不調法などと言いて、済み申すべく候。今度、善忠様常に、「武士は曲者(くせもの)さらし、胸を焦すべきよりはと、腹を切りたらば、せめてなるべし。これも命が惜しく無駄死になどといいて生きる方の分別に仕替(しか)え、今から先、五年か十年か二十年の間生きて後指さされ、恥をさらしみて死失せ、骸(むくろ)の上に恥を塗りつけ、子々孫々、咎もなきものも、縁によりて生れ来り、恥を受け先祖の名を下し、一門親類にも疵をつけ、無念千万の次第に候。偏(ひとえ)に日頃心掛けなく、武士とは何としたものやら夢にも存ぜず、うかうかと日を暮らし、割というものなるべし。出し抜きに切られたる者は力及ばず、武運に尽きたるというものなるべし。切りたる者は遁(のが)れぬ行懸(ゆきがか)りにて、残らぬと思う心にて命を捨つるからは、どこという事は見えぬ筈なり。短気にて不当な介者というなるべし。相手向う二人はすくたれとはいわず。一座の者は生きて恥をかき、武士にあらず。その時が唯今と、かねて吟味工夫して押直して置かねばならぬ筈にて候。皆人油断にて大方にも一生を過すは不思議の仕合せなりと申し候えば、武道は毎朝毎朝死習い、彼に附け是に附け、死にては見死にては見して、切れ切れて置く事一つなり。尤も大儀にてはあれども、すれば成る事なり。すまじき事にてはなし。文詞(ぶんし)の勢が武辺の大事なり。今度も取留むれば上なり。手に余らば打捨つる事にてはなし。取遁しては、「何某やらぬぞ、卑怯者遁ぐるか。」などと、時に応じ変に乗じ、詞を掛くる勢にて仕済ますなり。何某目心きき候者と、かねて諸人の目にも乗り候が仕留めたり。とかく、かねて唯今がその時の証拠なり。唯今がその時の吟味し置くべき事数多有るべきなり。横座の槍もこれなり。殿中殺害人は、若し取遁し、尤も後の御咎(おとが)め、科(とが)の儀は顧みず」と、申すべき事に候。
現代語訳
「その時」とは今このときのことであり、武士道は毎朝毎朝死ぬ稽古を重ね、覚悟を研ぎ澄ませておくことに尽きる。公務での失敗なら「不調法でした」と詫びれば済むだろう。しかし善忠様は常々こう言われた。「武士たる者、恥をさらして胸を焦がすくらいなら、腹を切った方がまだましだ。命が惜しい、無駄死にだなどと理屈をつけて生き延びる方に判断を傾ければ、これから先五年、十年、二十年と生きたところで、後ろ指をさされ恥をさらして死に、亡骸の上にまで恥を塗りつけることになる。子々孫々、罪のない者まで縁あって生まれてきて恥を受け、先祖の名を汚し、一門親類にも傷をつける。無念この上ない次第だ。ひとえに日頃の心がけがなく、武士とは何たるかを夢にも考えず、うかうかと日を過ごしているのが原因だ。だしぬけに斬られた者は力及ばず武運が尽きたというもの。斬った側は逃れられぬ成り行きで、命を捨てる覚悟で臨めば、迷いなどないはずだ。その場に居合わせながら手を出さぬ者は臆病者であり、生き恥をさらして武士とは言えない。『その時』は今このときだと、かねてよく吟味し工夫して覚悟を据えておかねばならない。誰もが油断して一生を無事に過ごせるのは、不思議な幸運にすぎない」と。だから武道は毎朝毎朝死ぬ稽古をし、あれにつけこれにつけ、死んだつもりになりきって覚悟を研ぎ澄ましておく、この一事に尽きる。むろん骨の折れることだが、やればできることで、できぬことではない。言葉の勢いこそ武辺の大事だ。今回も相手を取り留めれば上出来。手に余っても捨て置くべきではない。取り逃がしそうなら「何某、やらぬのか、卑怯者、逃げるか」などと、時と場合に応じて言葉をかける勢いで仕留めるのだ。「あの者は目端がきく」とかねて人々の目にとまっているのが仕留めるものだ。とにかく、かねてから「今こそその時」と心得ておくのが証だ。今このときにこそ吟味しておくべきことが数多くあるはずだ。横座の槍もこれと同じ心得である。殿中で刃傷に及ぶ者は、もし取り逃がしても、後のお咎めや罪科は顧みない、と心得るべきことだ。
解説
この章句が説くこと
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