葉隠 / 聞書第二
殿中にては、拔き掛けられても手向ひ致さず、其の段、御目付へ斷り候はゞ、非義たりとも理に附けらるべし、と、承け傳へ候。「後の利運と存じ、當座の恥を堪忍致す事いかが。」と申し候へば、元心心師の指南に、詞の働き入る所なり。相手を召連れ申すか、我が身ばかりにても御目付へ面談、斯くの如きの仕合せ、誠に堪忍仕り難く候へども、殿中憚り多く、御上に對し奉り、當座の恥辱を堪忍仕り候段、御推量下さるべく候。某一命は速に捨て置き候。此の段御屈仕り候段、當座の趣次第に申し達すべく候。若し相手御構ひこれなく候はゞ、初めに捨て置きたる一命に候へば、何の手ともなく打果し申すべく候由。
新字:殿中にては、抜き掛けられても手向ひ致さず、其の段、御目付へ断り候はゞ、非義たりとも理に附けらるべし、と、承け伝へ候。「後の利運と存じ、当座の恥を堪忍致す事いかが。」と申し候へば、元心心師の指南に、詞の働き入る所なり。相手を召連れ申すか、我が身ばかりにても御目付へ面談、斯くの如きの仕合せ、誠に堪忍仕り難く候へども、殿中憚り多く、御上に対し奉り、当座の恥辱を堪忍仕り候段、御推量下さるべく候。某一命は速に捨て置き候。此の段御屈仕り候段、当座の趣次第に申し達すべく候。若し相手御構ひこれなく候はゞ、初めに捨て置きたる一命に候へば、何の手ともなく打果し申すべく候由。
書き下し
殿中(でんちゅう)にては、抜き掛(か)けられても手向(てむか)ひ致さず、其の段、御目付(おめつけ)へ断り候はば、非義(ひぎ)たりとも理に附(つ)けらるべし、と、承(う)け伝へ候。「後(のち)の利運(りうん)と存じ、当座(とうざ)の恥を堪忍(かんにん)致す事いかが。」と申し候へば、元心心師(げんしんしんし)の指南に、詞(ことば)の働き入る所なり。相手を召連(めしつ)れ申すか、我が身ばかりにても御目付へ面談、斯(か)くの如きの仕合せ、誠に堪忍仕り難く候へども、殿中憚(はばか)り多く、御上(おかみ)に対し奉り、当座の恥辱(ちじょく)を堪忍仕り候段、御推量(ごすいりょう)下さるべく候。某(それがし)一命(いちめい)は速(すみや)かに捨て置き候。此の段御屈(ごくつ)仕り候段、当座の趣(おもむき)次第に申し達すべく候。若し相手御構(おかま)ひこれなく候はば、初めに捨て置きたる一命に候へば、何の手ともなく打果(うちはた)し申すべく候由。
現代語訳
殿中では、たとえ刀を抜きかけられても手向かいせず、その次第を御目付に届け出れば、たとえ理不尽な目に遭ったとしても道理は通してもらえる、と伝え聞いている。「後日の勝ちを見込んで、その場の恥を我慢するのはいかがなものか」と言う者もいるが、そこにこそ元心心師の教えである「言葉の働き」が入る余地がある。相手を連れて、あるいは自分一人ででも御目付に面談し、「このような仕儀、まことに堪えがたいことでございますが、殿中では憚りも多く、御上に対し奉って、その場の恥辱を堪え忍びました段、どうかお察しください。私の命はとうに捨てております。今回こうして堪え忍びましたのは、その場の事情ゆえにございます」と、事の次第に応じて申し述べればよい。もし相手がお咎めなしとなれば、はじめから捨てている命なのだから、どうということもなく討ち果たすまでだ、という。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第二御留守居(おるすい)二度の口達(くたつ)。主人にも何気(なにげ)もなく思はれては、大事の奉公はされぬものなり。此のあたり一心(いっしん)の覚悟にて顕(あらわ)るるなり。御叱(おしか)りの時は、御悪口(ごあっこう)のみ仰出(おおせい)でられ候へども、終(つい)に御悪口に逢ひ申さず候。若殿様(わかとのさま)は「主人を見限りさうなる者」と度々(たびたび)御意(ぎょい)なされ、本望(ほんもう)と存じ居り候。光茂公(みつしげこう)御卒去(ごそっきょ)の時分などは、我等(われら)申し上げ候事は少しも御疑(おうたが)ひとれなく候由。
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葉隠・聞書第二人に出会い候時は、その人の気質を早く呑込み、それぞれに応じて会釈あるべき事なり。その内、理堅く強勢の人には随分折れて取合い、角立たぬ様にして、間に相手になる上手(じょうず)の理を以て言い伏せ、その後は少しも遺恨を残さぬようにあるべし。これは胸の働き、詞(ことば)の働きなり。何某(なにがし)へ和尚出会の意見、口達(こうたつ)あり。
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葉隠・聞書第二挨拶は一座(いちざ)を見計(みはか)らって人の気に障(さわ)らぬ様に、国家の事は勇猛に。我が心浮いて実(じつ)なく、脇(わき)よりも左様(さよう)に見ゆるなり。その後にて実儀(じつぎ)なる事を見合(みあわ)せ話すべし。我が心に実が出来るなり。軽い挨拶をする時も、一座を見計りて人の気に障らざるよう、少し案じてより申すべきなり。又武道の方御国家の事に難を申す衆候わば、愛想尽(あいそづ)かして、したたかに申すべし。兼(かね)て覚悟仕るべきの由。
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葉隠・聞書第二公儀方などは仕損じ候ても、無調法・不調法などと言いて、済み申すべく候。今度、善忠様常に、「武士は曲者(くせもの)さらし、胸を焦すべきよりはと、腹を切りたらば、せめてなるべし。これも命が惜しく無駄死になどといいて生きる方の分別に仕替(しか)え、今から先、五年か十年か二十年の間生きて後指さされ、恥をさらしみて死失せ、骸(むくろ)の上に恥を塗りつけ、子々孫々、咎もなきものも、縁によりて生れ来り、恥を受け先祖の名を下し、一門親類にも疵をつけ、無念千万の次第に候。偏(ひとえ)に日頃心掛けなく、武士とは何としたものやら夢にも存ぜず、うかうかと日を暮らし、割というものなるべし。出し抜きに切られたる者は力及ばず、武運に尽きたるというものなるべし。切りたる者は遁(のが)れぬ行懸(ゆきがか)りにて、残らぬと思う心にて命を捨つるからは、どこという事は見えぬ筈なり。短気にて不当な介者というなるべし。相手向う二人はすくたれとはいわず。一座の者は生きて恥をかき、武士にあらず。その時が唯今と、かねて吟味工夫して押直して置かねばならぬ筈にて候。皆人油断にて大方にも一生を過すは不思議の仕合せなりと申し候えば、武道は毎朝毎朝死習い、彼に附け是に附け、死にては見死にては見して、切れ切れて置く事一つなり。尤も大儀にてはあれども、すれば成る事なり。すまじき事にてはなし。文詞(ぶんし)の勢が武辺の大事なり。今度も取留むれば上なり。手に余らば打捨つる事にてはなし。取遁しては、「何某やらぬぞ、卑怯者遁ぐるか。」などと、時に応じ変に乗じ、詞を掛くる勢にて仕済ますなり。何某目心きき候者と、かねて諸人の目にも乗り候が仕留めたり。とかく、かねて唯今がその時の証拠なり。唯今がその時の吟味し置くべき事数多有るべきなり。横座の槍もこれなり。殿中殺害人は、若し取遁し、尤も後の御咎(おとが)め、科(とが)の儀は顧みず」と、申すべき事に候。
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葉隠・聞書第二謂(いわ)れ無く朋輩(ほうばい)に席を越され、居肩(いかた)下りたる時、少しも心にかけず、奉公する人あり。又それを腑甲斐(ふがい)なきと云いて愚意(ぐい)を申し、弓取(ゆみと)りなどするもあり。いかがと申し候えば、それは時により事によるべし。
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葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。