葉隠 / 聞書第二
奉公人には良き手本が入る事に候へども、律儀なる事は村岡五兵衛にて候。物を書き調べ候事は原田殿以後に見及ばず候。さても人は無きものなり。あれこれ寄せても昔の一人前にもならず候。尤も昔もすくなきなるべし。若き衆は少し精出し候はゞ、上手取る時節なるに、油斷ぞ、となり。
新字:奉公人には良き手本が入る事に候へども、律儀なる事は村岡五兵衛にて候。物を書き調べ候事は原田殿以後に見及ばず候。さても人は無きものなり。あれこれ寄せても昔の一人前にもならず候。尤も昔もすくなきなるべし。若き衆は少し精出し候はゞ、上手取る時節なるに、油断ぞ、となり。
書き下し
奉公人には良き手本が入る事に候えども、律儀(りちぎ)なる事は村岡五兵衛(むらおかごへえ)にて候。物を書き調べ候事は原田殿(はらだどの)以後に見及ばず候。さても人は無きものなり。あれこれ寄せても昔の一人前にもならず候。尤(もっと)も昔もすくなきなるべし。若き衆は少し精出し候わば、上手取る時節なるに、油断ぞ、となり。
現代語訳
奉公人には良い手本が必要である。律儀さでは村岡五兵衛が手本だ。文書を書き調べる仕事では、原田殿より後に優れた者を見たことがない。まったく、人材はいないものだ。あれこれ寄せ集めても、昔の一人前分にもならない。もっとも、昔もそうした人は少なかったのだろう。若い衆は、少し精を出しさえすれば名人になれる時代なのに、油断しているのだ、ということである。
解説
人材の育成と、若者の奮起を促す条です。核心は「手本に学べば伸びるのに、若者が精を出さないのは油断だ」という点にあります。律儀な村岡、実務に長けた原田といった具体的な手本を挙げ、学ぶべき対象は身近にいると示します。そのうえで、努力すれば頭角を現せる好機なのに、それを怠るのはもったいないと若者を叱咤するのです。現代にも響く指摘です。優れた先輩や同僚は、生きた教科書になります。手本を見つけて学び、少しの努力を続ければ抜きん出られる。人材難を嘆く前に、まず自分が精を出せという、実践的な励ましの言葉です。
この章句が説くこと
葉隠人材育成手本若者の努力精進油断
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