葉隠 / 聞書第二
梁山話に、上方にて指南を受け候。書き物は殘る物なれば、手紙一通も則ち向樣にては掛物になると思うて、嗜みて書くべきなり。大方恥を書き置くばかりとなり。
新字:梁山話に、上方にて指南を受け候。書き物は残る物なれば、手紙一通も則ち向様にては掛物になると思うて、嗜みて書くべきなり。大方恥を書き置くばかりとなり。
書き下し
梁山話(りょうざんばなし)に、上方(かみがた)にて指南を受け候(そうろう)。書き物は残る物なれば、手紙一通も則(すなわ)ち向様(むこうさま)にては掛物になると思うて、嗜みて書くべきなり。大方(おおかた)恥を書き置くばかりとなり。
現代語訳
書いたものは後に残るものだ。手紙一通でも、先方では掛物として大切に残されると思って、心して丁寧に書け。梁山話に、上方で教えを受けたとある。書き物は残るものだから、手紙一通も先方では掛物になると思って、慎んで書くべきである。多くの場合、人は恥を書き残しているようなものだ、というのだ。
解説
手紙一通でも、受け取った側では掛軸として床の間に飾られ長く残るかもしれない、だから心して丁寧に書け、という戒めです。書いたものは自分の手を離れても消えず、書き手の人となりを後々まで証し立てる。何気なく書き散らしたものが、結局は自分の恥を残すことになる、と警告します。武士の嗜みとして筆跡や文面に気を配る心得ですが、本質は「残るものには責任が伴う」という普遍の教えです。現代ではメールやSNSの投稿がまさにこれに当たり、一度発信した言葉は記録として残り続けます。手軽な一言ほど後で自分を映す鏡になる、という点で今日いっそう切実な忠告といえます。
この章句が説くこと
葉隠手紙書き物言葉の責任嗜み記録
関連する章句
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