葉隠 / 聞書第二
花見提重は歸りには踏み捨てる、萬づ仕舞口が大事上方にて花見提重あり。一日の用事なり。歸りには踏み散らして捨て候なり。さすが都の心附なり。萬づ仕舞口が大事となり。
新字:花見提重は歸りには踏み捨てる、万づ仕舞口が大事上方にて花見提重あり。一日の用事なり。歸りには踏み散らして捨て候なり。さすが都の心附なり。万づ仕舞口が大事となり。
書き下し
花見提重(はなみさげじゅう)は帰りには踏み捨てる、万(よろ)づ仕舞口(しまいぐち)が大事。上方(かみがた)にて花見提重あり。一日の用事なり。帰りには踏み散らして捨て候なり。さすが都の心附(こころづけ)なり。万づ仕舞口が大事となり。
現代語訳
花見の提重は帰りには踏んで捨てる。何事も終わりの始末が肝心だ。上方には花見用の提重(携帯用の重箱)というものがある。一日限りの用途のものだ。帰りには踏み散らして捨ててしまう。さすがに都の心配りである。何事も締めくくり方が大事なのだ。
解説
花見のためだけに作られた提重を、その日の帰りには惜しげもなく踏み捨てる。一見もったいないようですが、常朝はこれを「都の粋な心配り」と評価します。眼目は「万づ仕舞口が大事」、つまり物事の締めくくり方こそ肝心だという一点です。始めることより、後腐れなく見事に終える方が難しい。一日限りと割り切ったものに未練を残さず、きっぱり手放す潔さに美学を見ています。仕事の引き際、区切りの付け方、後始末の作法など、「終わり方」に人の器量が表れるという教えは、現代のあらゆる場面に通じる示唆と言えるでしょう。
この章句が説くこと
葉隠仕舞口締めくくり引き際潔さ始末
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