葉隠 / 聞書第二
慰みにも心を附けよ、照庵は連歌好き、素方は俳諧好き、たけがあれ程遣ふなり。常々の慰み方にも心を附けて、長の高き所に眼を著くべき事かと、我が見立なり。連俳よりは狂歌なりとも讀み習ひ度き事なりと。私に云ふ、腰折とは武家にては言ふまじき事なり。口傳。
新字:慰みにも心を附けよ、照庵は連歌好き、素方は俳諧好き、たけがあれ程遣ふなり。常々の慰み方にも心を附けて、長の高き所に眼を著くべき事かと、我が見立なり。連俳よりは狂歌なりとも読み習ひ度き事なりと。私に云ふ、腰折とは武家にては言ふまじき事なり。口伝。
書き下し
慰みにも心を附けよ、照庵(しょうあん)は連歌(れんが)好き、素方(そほう)は俳諧(はいかい)好き、たけがあれ程遣うなり。常々の慰み方にも心を附けて、長(ちょう)の高き所に眼を著(つ)くべき事かと、我が見立てなり。連俳(れんぱい)よりは狂歌(きょうか)なりとも読み習いたき事なりと。私(わたくし)に云う、腰折とは武家にては言うまじき事なり。口伝(くでん)。
現代語訳
遊びや気晴らしにも心を配れ。照庵は連歌を好み、素方は俳諧を好んで、あれほどに嗜(たしな)んでいる。日ごろの気晴らしのしかたにも心を配って、志の高いところに目をつけるべきだ、というのが私の見立てである。連歌や俳諧よりは、狂歌でも詠み習いたいものだ。付け加えて言うと、(下手な歌を指す)「腰折れ」という言葉は、武家では口にすべきではない。これは口伝である。
解説
武士の趣味や気晴らしの選び方について説いた条です。核心は「遊びにも品格と志を持て」という点にあります。単に暇をつぶすのではなく、気晴らしの内容にも心を配り、志の高いものを選べと説きます。日ごろ何に心を遊ばせているかが、その人の格を作るという考え方です。武家の言葉遣いにまで気を配る細やかさも印象的です。現代にも通じる示唆があります。休日や余暇の過ごし方は、人の内面を映します。娯楽を惰性で消費するのではなく、自分を高めるものを選ぶ意識が、長い目で見て自分を育てます。遊び方に人格が表れる、という洞察です。
この章句が説くこと
葉隠趣味気晴らし余暇の過ごし方品格志
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