葉隠 / 聞書第二
武勇と少人は、我は日本一と大高慢にてなければならず。道を修行する今日の事は「知非便捨」に若くはなし。斯樣にわけて心得ねば、埒明かずとなり。
新字:武勇と少人は、我は日本一と大高慢にてなければならず。道を修行する今日の事は「知非便捨」に若くはなし。斯様にわけて心得ねば、埒明かずとなり。
書き下し
武勇と少人(しょうにん)は、我は日本一と大高慢(だいこうまん)にてなければならず。道を修行する今日の事は「知非便捨(ちひべんしゃ)」に若(し)くはなし。斯様(かよう)にわけて心得ねば、埒(らち)明かずとなり。
現代語訳
武勇と、まだ年若い者は、「自分は日本一だ」というほどの大きな気概(大高慢)がなければならない。一方で、日々の道の修行については、「非を知れば即座に捨てる(知非便捨)」に勝るものはない。このように場面を分けて心得ておかなければ、事はうまく運ばないのだ。
解説
一見矛盾する二つの構えを、場面によって使い分けよと説く一条です。武勇や若さにおいては「自分こそ日本一」という大高慢な気概を持て、と発奮を促します。萎縮していては力は出ないからです。しかし人としての道の修行では逆に、自分の非に気づいたらすぐ捨て去る「知非便捨」の謙虚さが最上だと言います。攻めるべき場面では大胆に自負し、正すべき場面ではためらわず過ちを手放す。この切り替えができないと物事は前に進まない、という実践知です。現代でも、挑戦の場では根拠なき自信が背中を押し、学びの場では素直な自己修正が成長を生む。強気と謙虚を状況で使い分ける、バランス感覚の勧めです。
この章句が説くこと
葉隠武勇大高慢知非便捨自信自己修正
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