葉隠 / 聞書第二
家康公、或時、御軍利あらず、後の評判に、「家康は大勇氣の大將なり。討死の士卒一人も後向きて死にたるものなし。皆敵陣の方を枕にして死にて居り候。」と沙汰これあり候由。武士は、日頃の心掛が死後にまで顯れ申すものにて、恥かしき事となり。
新字:家康公、或時、御軍利あらず、後の評判に、「家康は大勇気の大将なり。討死の士卒一人も後向きて死にたるものなし。皆敵陣の方を枕にして死にて居り候。」と沙汰これあり候由。武士は、日頃の心掛が死後にまで顕れ申すものにて、恥かしき事となり。
書き下し
家康公、或時(あるとき)、御軍(おんいくさ)利あらず、後(のち)の評判に、「家康は大勇気の大将なり。討死の士卒一人も後向きて死にたるものなし。皆敵陣の方を枕にして死にて居り候。」と沙汰これあり候由(そうろうよし)。武士は、日頃の心掛が死後にまで顕(あらわ)れ申すものにて、恥かしき事となり。
現代語訳
家康は大勇気の大将であり、討死した兵は一人も後ろを向いていなかった。家康公が、あるとき戦に利がなく敗れたが、後の評判では「家康は大勇気の大将である。討死した兵で、背を向けて死んだ者は一人もいない。皆、敵陣のほうを枕にして死んでいた」と噂されたという。武士というものは、日頃の心掛けが死んだ後の姿にまで表れるものであり、(背を向けて死ぬのは)恥ずかしいことなのである。
解説
たとえ戦に敗れても、兵が一人残らず敵に向かって倒れていた。その姿こそが大将の日頃の統率と覚悟を物語る、という逸話です。核心は「日頃の心掛けが死後にまで表れる」という一句にあります。とっさの局面での身の処し方は、その場で作れるものではなく、平生の鍛錬と覚悟がそのまま出る、というのです。勝敗という結果より、最期にどちらを向いていたかという「姿勢」を重んじる価値観がうかがえます。なお、これは討死という死を前提とした武士の美意識であり、現代の価値観とは隔たりがあります。そのうえで、日々の積み重ねが土壇場に表れるという指摘は、仕事や生き方の一貫性を問うものとして受け取れます。
この章句が説くこと
葉隠徳川家康日頃の心掛け一貫性統率覚悟
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