葉隠 / 聞書第二
工夫修行を超越し、世間並にして主を歎き、奉公に身を入れよ。時、多分高上りに成り到り過ぎ、本を唱へ失ひ候。唯、何の合點も入らず、世間並にして主を歎き、奉公に好くまでなり。本に立歸り勤めたるがよし。尤も初めより此の心入にては役に立たず、一通り工夫修行して、それをさらりと捨て、此くの如く心得候事なりと。
新字:工夫修行を超越し、世間並にして主を嘆き、奉公に身を入れよ。時、多分高上りに成り到り過ぎ、本を唱へ失ひ候。唯、何の合点も入らず、世間並にして主を嘆き、奉公に好くまでなり。本に立帰り勤めたるがよし。尤も初めより此の心入にては役に立たず、一通り工夫修行して、それをさらりと捨て、此くの如く心得候事なりと。
書き下し
工夫修行を超越し、世間並にして主を歎き、奉公に身を入れよ。時、多分(たぶん)高上(たかあが)りに成り到(いた)り過ぎ、本(もと)を唱え失い候。唯(ただ)、何の合点(がてん)も入らず、世間並にして主を歎き、奉公に好(す)くまでなり。本に立帰(たちかえ)り勤めたるがよし。尤(もっと)も初めより此の心入(こころいれ)にては役に立たず、一通り工夫修行して、それをさらりと捨て、此くの如く心得候事なりと。
現代語訳
小手先の工夫や修行を超え、世間並みの素直さで主君を慕い、奉公に身を入れよ。とかく人は高みに上がり過ぎて、かえって根本を見失いがちだ。ただ理屈をこねず、世間並みに主君を慕い、奉公が好きだというだけでよい。根本に立ち返って勤めるのがよいのである。もっとも、最初からこの心構えでは役に立たない。ひととおり工夫修行を積み、それをさらりと捨て去って、こう心得るのだ、と。
解説
修行を積むほど人は高尚になりたがり、かえって「主君を慕い、奉公に励む」という根本を見失う、という戒めです。理屈や高度な工夫の先にあるのは、素朴で世間並みの真心に立ち返ることだと説きます。重要なのは「初めからこの心構えでは役に立たない」という但し書きで、一度しっかり修行を積み、それをさらりと捨てて素朴さに帰るという段階を踏むこと。つまり、素直さは学びを経た末の高みなのです。技を極めた後に基本へ還る、という上達論として、現代の仕事や芸事の学びにも通じる示唆に富んだ一条です。
この章句が説くこと
葉隠工夫修行根本に立ち返る守破離素朴さ上達論
関連する章句
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葉隠・聞書第二万事、実(じつ)一つにて仕(し)て行けば済むものなり。其の中に奉公人は御側(おそば)、外様(とざま)、大身(たいしん)、小身(しょうしん)、古家(ふるいえ)、取立(とりたて)などに付て、それぞれに、少しづつの心入(こころいれ)は替わるべし。御前(ごぜん)近き奉公などは、差し出でたること第一わろきなり。大人(たいじん)の御嫌い候ものなり。御前の仕事は成程(なるほど)引き取りて、あれにては埒(らち)が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召(おぼしめ)さるる位がよきなり。さて、先役(せんやく)はもとより、同役を成程御用に立つ様に仕(し)なし、若し病気差支(さしつかえ)役替りなどの時、御事欠き候に付て、我が身勤め候様に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兎角(とかく)忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭(はやしゅっとう)、のうぢなきものなり。古来例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖(さき)に申し上げたる事なし。玆(ここ)には、いから心得ある事に候となり。
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葉隠・聞書第一手跡(しゅせき)の行儀正しく、疎略(そりゃく)なきより上はあるまじけれども、その分にては、堅(かた)くれ賤(いや)しく見ゆるなり。この上に、格(かく)を離(はな)れたる姿あるべし。諸事(しょじ)にこの理(ことわり)あるべし。
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葉隠・聞書第一奉公人は一向(いっこう)に主人を大切に歎(なげ)くまでなり。これ最上の被官(ひかん)なり。御当家御代々(ごだいだい)、名誉の御家中(ごかちゅう)に生れ出(い)で、先祖代々御厚恩(ごこうおん)の儀を浅からぬ事に存じ奉(たてまつ)り、身心(しんしん)を擲(なげう)ち、一向に歎き奉るばかりなり。この上に智慧(ちえ)・芸能もありて相応相応(そうおうそうおう)の御用に立つは猶(なお)幸(さいわい)なり。何の御用にも立たず、不調法千万(せんばん)の者も、ひたすらに歎き奉る志さえあれば、御頼み切りの御被官なり。智慧・芸能ばかりを以て御用に立つは下段(げだん)なり。