葉隠 / 聞書第二
豫て養生すれば病氣は出ぬ、慈悲の諫言意見も平素にせよ諫言意見など、惡事の出來てよりしては其の驗あり兼ね、却つて惡事をひろげ申す樣なるものなり。病氣出來てより藥を用ふるが如し。豫て養生をよくすれば、終に病氣出ず、未だ惡事思ひ立たざる前に、兼々心持になる事を、何となく諫言意見仕り候けば、兼て養生の如くなるべく候由。
新字:予て養生すれば病気は出ぬ、慈悲の諫言意見も平素にせよ諫言意見など、悪事の出来てよりしては其の験あり兼ね、却つて悪事をひろげ申す様なるものなり。病気出来てより薬を用ふるが如し。予て養生をよくすれば、終に病気出ず、未だ悪事思ひ立たざる前に、兼々心持になる事を、何となく諫言意見仕り候けば、兼て養生の如くなるべく候由。
書き下し
諫言(かんげん)・意見(いけん)など、悪事(あくじ)の出来(しゅったい)てよりしては其の験(しるし)あり兼(か)ね、却(かえ)って悪事をひろげ申す様なるものなり。病気出来てより薬を用(もち)ふるが如(ごと)し。予(かね)て養生(ようじょう)をよくすれば、終(つい)に病気出でず。未だ悪事思ひ立たざる前に、兼々(かねがね)心持になる事を、何となく諫言・意見仕り候へば、兼て養生の如くなるべく候由。
現代語訳
諫言や意見というものは、悪事が起きてしまってからでは効き目がなく、かえって事を大きくしてしまうようなものだ。病気になってから薬を用いるのと同じである。あらかじめよく養生しておけば、そもそも病気にはならない。まだ悪事を思い立ちもしない前から、日頃それとなく心構えになるようなことを、さりげなく諫めたり意見したりしておけば、あらかじめ養生しておくのと同じ効き目があるという。
解説
諫言や忠告のタイミングを、養生になぞらえて説いた一条です。問題が起きてから叱っても手遅れで、かえってこじれるばかり——ちょうど病んでから薬を飲むようなものだ、というのです。大切なのは、相手がまだ過ちに向かっていない平素のうちに、それとなく心構えを促しておくこと。事後の叱責より、日頃の予防的な声かけのほうがはるかに効くという知恵です。現代のマネジメントや人材育成にも通じる発想で、問題対応より問題予防、指摘より日常的な対話の積み重ねが人を守る、という普遍的な教えとして読めます。
この章句が説くこと
葉隠諫言予防養生平素の心構え人材育成
関連する章句
-
葉隠・聞書第一諫言の道に、我其の位にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤直なる様にするが大忠なり。此の階の爲に諸人と懇意する所なり。我が爲にすれば追従なり。一方は我等荷なひ申す心入からなり。成程なるものなり。
-
葉隠・聞書第一或人覺悟の體覺書に、主君の身邊勤むる者は別けて身持覺悟愼むべきことなり。御側の者の様子を見て、主人のたけを人が積るものなり。今は御機嫌惡し、序でになどと思うて居る内に、不圖御誤もあるべきことなり。又諫言は時を移さず申上ぐべきことなり。仰出濟みて後も、其の者に理を附け、少しづゝもよき様に云ひなせば、歸參も早きものなり。又仕合せよき人には、無音しても苦しからず、侍の義理なり。又科人をわろく云ふは不義理の事なり。落ちぶれたる者には隨分不憫を加へ、何とぞ立直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
-
葉隠・聞書第一主人に諫言をするに色々あるべし。志の諫言は脇に知れぬ樣にするなり。御氣にさかはぬ樣にして御癖を直し申すものなり。細川頼之が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄何某承り、「某、一命を捨てゝ申上ぐべく候。段々御延引の上に脇寄など遊ばされ候節、以ての外然るべからず候。」と、諸人に向ひ、「御暇乞仕り候。」と詞を渡し、行水、白帷子下着にて御前へ罷出でられ、追附退出、又諸人に向ひ、「拙者申上げ候儀、聞召分けられ本望至極、皆樣へ一度御目に懸り候儀、不思議の仕合せ。」など廣言申され候。これ皆主人の非を顯し、我が忠を揚げ、威勢を立つる仕事なり。多分他國者にこれあるなり。
-
葉隠・聞書第一御縁組の時、何某一分を申し達し候。此の事、若き衆よく心得置くべき事なり。其の身氣味よく思うて、云ふべき事を云うて腹切りても本望と思ふべし。よく〳〵了簡候へ、何の益にも立たぬ事なり。我斯様の事を云うて腹切りても本望と思ふは、成程聞えたり。曲者などと思ふは以ての外なる取違なり。先づ申出でたる事其の詮なく、我が身は引取り、御養育も仕らず、追附御死去なされ候に、御看病も仕らず、殘念千萬なり。氣過ぎなる人は多分誤る所なり。總じて其の位に至らずして諫言するは却つて不忠なり。誠の者ならば、我が存寄りたる事を似合ひたる人に潜かに内談して、其の人の思寄にさせて云へば、其の事調はるなり。これ忠節なり。若し、内談にて其の人請合はずば、又外の人にも内談し、兎角色々心遣をして、其の事さへ調はる〻様にすれば、大忠節も知れぬ様にして居るものなり。幾人に内談しても、埒明かざる時は力に及ばず、其の分にて打過ぎ、又は起し立て〳〵すれば、多分叶ふものなり。我こそ曲者と云はる〻名聞計りにて、我が手柄にする故調はざるなり。申出でたる事益には立たず、人に難ぜられ、我が身を崩したる人數多これあるなり。畢竟眞の志なき故なり。我が身を一向に捨て〳〵て、主君の上どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛る〻事はこれなく候なり。
-
荀子・大略篇為人臣下者,有諫而無訕,有亡而無疾,有怨而無怒。
-
荀子・子道篇魯哀公問於孔子曰:「子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?」三問,孔子不對。孔子趨出以語子貢曰:「鄉者,君問丘也,曰:『子從父命,孝乎?臣從君命,貞乎?』三問而丘不對,賜以為何如?」子貢曰:「子從父命,孝矣。臣從君命,貞矣,夫子有奚對焉?」孔子曰:「小人哉!賜不識也!昔萬乘之國,有爭臣四人,則封疆不削;千乘之國,有爭臣三人,則社稷不危;百乘之家,有爭臣二人,則宗廟不毀。父有爭子,不行無禮;士有爭友,不為不義。故子從父,奚子孝?臣從君,奚臣貞?審其所以從之之謂孝、之謂貞也。」