葉隠 / 聞書第二
氣力さへ強ければ、詞にても身の行ひにても、道に叶ふ様になるものなり。然れども、心に問はれたる時、一句もいかぬものなり。よき目付なりと。
新字:気力さへ強ければ、詞にても身の行ひにても、道に叶ふ様になるものなり。然れども、心に問はれたる時、一句もいかぬものなり。よき目付なりと。
書き下し
気力さへ強ければ、詞(ことば)にても身の行ひにても、道に叶ふ様になるものなり。然れども、心に問はれたる時、一句もいかぬものなり。よき目付(めつけ)なりと。
現代語訳
気力さえ強ければ、言葉においても身の行いにおいても、自然と道理にかなうようになるものである。しかしながら、いざ自分の心に問いただされたときには、一言も返せぬものだ。これはよい戒め(自らを見張る目付役)である。
解説
気力が充実してさえいれば、言葉も行いも自然と道理にかなってくる、とまず説きます。外に表れる立ち居振る舞いは、気力という土台があってこそ整う、というのです。しかし後半で常朝は反転させます。いざ自分の心に静かに問いただされると、一言も申し開きができない——外面がどれほど整っていても、内心の後ろ暗さは自分自身が一番よく知っている、というのです。この自問こそが「よき目付」、つまり自らを監視する最良の役目だと結びます。他人の目より自分の心の目を恐れよ、という自己省察の教えであり、良心や誠実さを問う普遍的な戒めとして、現代にも深く響きます。
この章句が説くこと
葉隠気力自己省察良心目付誠実
関連する章句
-
『不動智神妙録』諫言 其一 忠を尽くす其心正しき時は、外より人の知る事もあらず、一念発る所に善と悪との二つあり、其善悪二つの本を考へて、善をなし悪をせざれば、心自ら正直なり。
-
『酔古堂剣掃』集法・無愧を隱微に求むるは難し知らるることを人世に求むるは易く、真に知ることを自己に求むるは難し。粉飾を耳目に求むるは易く、愧づる無きことを隱微に求むるは難し。
-
尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
-
説苑・說叢士は利を以て移らず、患を為して改めず、孝敬忠信の事立てば、死すと雖も悔いず。智にして私を用うるは、愚にして公を用うるに如かず。故に曰く、巧偽は拙誠に如かずと。學問倦まざるは、己を治むる所以なり。教誨厭わざるは、人を治むる所以なり。虛無を貴ぶ所以の者は、變に應じて時に合するを得ればなり。冠故しと雖も、必ず首に加う。履新たなりと雖も、必ず足に關す。上下分有り、相倍くべからず。一心は以て百君に事うべく、百心は以て一君に事うべからず。故に曰く、心を正しくし、又た言を少なくせよと。
-
『格言聯璧』處事類・天下に化すべからざるの人無し眞實の肝膽を以て人を待てば、事未だ必ずしも功を成さずと雖も、日後人必ず我の肝膽を見ん。 詐偽の心腸を以て事に處すれば、人即ひ一時惑ひを受くるも、日後人必ず我の心腸を見ん。 天下に化すべからざるの人無し、但だ誠心の未だ至らざるを恐る。 天下に爲すべからざるの事無し、只だ立志の堅からざるを怕る。
-
史記 扁鵲倉公列伝時に未だ往かざるに、会々慶の子男殷来りて馬を献ず。師光に因りて馬を王の所に奏す。意故を以て殷と善きを得たり。光又意を殷に属して曰く、『意は数を好む。公必ず謹みて之を遇せよ。其の人は聖儒なり』と。即ち書を為りて意を以て陽慶に属す。故を以て慶を知る。臣意慶に事ふること謹む。故を以て意を愛するなり」と。臣意に問ひて曰く、「吏民嘗て事として意の方を学び、及び畢く尽く意の方を得たるもの有りや不や。何れの県里の人ぞ」と。対へて曰く、「臨菑の人宋邑。邑学ぶ。臣意教ふるに五診を以てすること、歳余。済北王太医高期・王禹を遣はして学ばしむ。臣意教ふるに経脈の高下及び奇絡の結、当に俞の居る所を論ずべきこと、及び気の当に上下出入すべき邪正逆順、以て鑱石に宜しきこと、砭灸の処を定むることを以てすること、歳余。菑川王時に太倉の馬長馮信を遣はして方を正さしむ。臣意教ふるに案法逆順、薬法を論じ、五味及び和斉湯法を定むることを以てす。高永侯の家丞杜信、脈を喜み、来り学ぶ。臣意教ふるに上下経脈五診を以てすること、二歳余。臨菑の召里の唐安来り学ぶ。臣意教ふるに五診上下経脈、奇咳、四時陰陽に応ずるの重を以てす。未だ成らずして、除せられて斉王の侍医と為る」と。臣意に問ふ、「病を診し死生を決するに、能く全く失無きか」と。臣意対へて曰く、「意病人を治するに、必ず先づ其の脈を切して、乃ち之を治す。敗逆なる者は治すべからず。其の順なる者は乃ち之を治す。心脈に精しからず、期する所の死生、治すべきを視るに、時時之を失す。臣意全くする能はざるなり」と。太史公曰く、女は美悪と無く、宮に居れば妒まる。士は賢不肖と無く、朝に入れば疑はる。故に扁鵲は其の伎を以て殃せられ、倉公乃ち跡を匿して自ら隠れて刑に当たる。緹縈尺牘を通じ、父以て後に寧きを得たり。故に老子曰く、「美好なる者は不祥の器なり」と。豈に扁鵲等を謂ふか。倉公の若き者は、之に近しと謂ふべし。手の三陽の脈は、手より頭に至るまで長さ五尺、五六合して三丈。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る