葉隠 / 聞書第二
武士の大括りの次第を申さば、先づ身命を主人に奉り、内には智仁勇を備ふる事なり。三德兼備などと云へば、凡人の及びなき事の樣なれども、易きことなり。智は人に談合するばかりなり。量もなき智なり。仁は人の爲になる事なり。我と人と比べて、人のよき樣にするまでなり。勇は齒嚙みなり。前後に心附けず、齒嚙みして踏破るまでなり。此の上の立ち上りたることは知らぬ事なり。さて、外には風體、口上、手跡なり。これは何れも常住の事なれば、常住の稽古に成る事なり。大意は閑かに強みある樣にと心得べし。此の分、手に入りたらば、國學を今、少し御用に立つ人を見れば、外の三箇條近きなりと。
新字:武士の大括りの次第を申さば、先づ身命を主人に奉り、内には智仁勇を備ふる事なり。三徳兼備などと云へば、凡人の及びなき事の様なれども、易きことなり。智は人に談合するばかりなり。量もなき智なり。仁は人の為になる事なり。我と人と比べて、人のよき様にするまでなり。勇は齒嚙みなり。前後に心附けず、齒嚙みして踏破るまでなり。此の上の立ち上りたることは知らぬ事なり。さて、外には風体、口上、手跡なり。これは何れも常住の事なれば、常住の稽古に成る事なり。大意は閑かに強みある様にと心得べし。此の分、手に入りたらば、国学を今、少し御用に立つ人を見れば、外の三箇条近きなりと。
書き下し
武士の大括(おおくく)りの次第を申さば、先ず身命を主人に奉り、内には智仁勇を備うる事なり。三徳兼備(けんび)などと言えば、凡人(ぼんじん)の及びなき事の様なれども、易(やす)きことなり。智は人に談合(だんごう)するばかりなり。量(はか)りもなき智なり。仁は人の為になる事なり。我と人と比べて、人のよき様にするまでなり。勇は歯嚙(はが)みなり。前後に心付けず、歯嚙みして踏破(ふみやぶ)るまでなり。この上の立ち上りたることは知らぬ事なり。さて、外には風体(ふうてい)、口上(こうじょう)、手跡(しゅせき)なり。これはいずれも常住(じょうじゅう)の事なれば、常住の稽古に成る事なり。大意は閑(しず)かに強みある様にと心得べし。この分、手に入りたらば、国学を今、少し御用に立つ人を見れば、外の三箇条近きなりと。
現代語訳
まず心をこめて身命を主人に捧げ、内には智・仁・勇の三徳を備えよ。武士の大筋を言うなら、まず身命を主人に捧げ、内に智仁勇を備えることだ。三徳兼備などと言うと凡人には及びもつかないことのように聞こえるが、実は易しい。智とは人に相談するだけのこと。たいした智ではない。仁とは人のためになること。自分と相手を比べて、相手のためによいようにするまでだ。勇とは歯を食いしばること。あれこれ考えず、歯を食いしばって突き破るまでだ。それ以上の高尚なことは知らない。さて、外面としては風采・話しぶり・筆跡である。これらはいずれも日常のことだから、日々の稽古になる。要は、静かで芯の強みがあるようにと心得よ。これらが身についたなら、学問を今少し役立てている人を見ても、外面の三箇条に達するのは近い。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第二武士たる者は、武勇(ぶゆう)に大高慢(だいこうまん)をなし、死狂(しにぐる)ひの覚悟(かくご)が肝要(かんよう)なり。不断(ふだん)の心立(こころだ)て・物云(ものい)ひ・身の取廻(とりまわ)し、よろづ綺麗(きれい)にと心掛(こころが)け、嗜(たしな)むべし。奉公方(ほうこうかた)は其の位(くらい)を落着(おちつ)け、人によく談合(だんごう)し、大事のことは構(かま)はぬ人に相談し、一生の仕事は人の為になるばかりと心得(こころえ)、雑務方(ざつむかた)を知らぬがよし。
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葉隠・聞書第一一門同組(いちもんどうぐみ)に介錯(かいしゃく)・捕物(とりもの)などと武士道にかかりたる事ある時、我に続く者なきやうに、平生(へいぜい)覚悟して置けば、自然(しぜん)の時、人の目にもかかるものなり。常に、武勇の人に乗り越えんと心掛け、何某(なにがし)に劣るまじと思ひて、勇気を修すべきなり。
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葉隠・聞書第二何某(なにがし)へ意見申し候は、「身持心入(みもちこころいれ)、今時の人に勝れ申され、結構の事に候。此の上、芸にて立ち上りたるところに眼を着けられ候へかし。今の分にては惜しき事に候。若し名人に成り御用に立ち候時、先祖以来の侍を立て通し、芸者にならるる事に候。御国の侍は、芸は身を亡すと、兼々(かねがね)見立て候は此の処にて候。御無人の時節などにも召し出されず候ても、一分(いちぶん)の覚悟は、御用に立ちたる事なり。多分大事の時は、潜(ひそ)かに相談きたる者は、人が捨て置かぬものなり。それに指南申すは、尚々(なおなお)忠義なり。他事なきものなる故、少し立ち上りたる者は、器量響く仕様もあり、何和尚(なにおしょう)と予て話しの由。彼の和尚は、皆人畏れて居るなり。明日にても、何事ぞ申され候を打ち崩し、せかせ候て上手(じょうず)の理にて云い伏せ、理詰(りづめ)仕らるべく候。諸人肝を潰し、云い伝え云い伝えて、頓(やが)て沙汰するものなり。手の理が得方(えかた)にて、鳴り廻るところを覚えたる人なり。少し精を入るれば慥(たし)かに成るものなり。「それは稽古にて成るべきや。」と申され候故、「易きことなり、当念に気を抜かさず、正念に着けられ候へかし。」と申し候。又十日の内に、国中に器量響くべきなり、上手の理を見出すまでなり。大犬をかみ伏せねば、響きなきものなり。大業(たいぎょう)がな申し候へば、「誠に利発なる和尚。」と申され候故、「左様に阻み申され候故、大業がならず、何のかうばしき事あるべきや。」誰にても、そくもやるまじきとかからねば、ほと手は延びず。又義経の勇智仁とのたまいしも、面白く候。今が世にも、四十歳より内は勇智仁なり。埋れ居り候衆は四十過ぎても勇智仁にてなくば響きあるまじく候。彼の和尚など、たった勇智仁を以て鳴り廻り、名高く聞え候。又殿様の御上(おんうえ)、御家老、年寄衆などの上は、たとえ上手の理を見附け候ても、人に批判をせぬものなり。聞えぬ事にても御尤もと理を附けて、諸人思い附く様に、褒め崇めて置くが忠義なり。人の不審いたす様に仕成(しな)すは、勿体(もったい)なきことなり。人の心は、移り易きものにて、一人褒むれば早やそれにかたぶき、一人譏(そし)れば悪ろく思うものなり。又どこへか有り附き候様にと何某申され候由、先年承り候。左様の時は日来(ひごろ)の懇意愛想も尽きて、したたかに申したるがよく候事を、破れぬ様に結構づくに取合い候へば、うさんに思わるるものなり。斯様の事に味方の人より転ぜられ、引き腐らかさるる事あるものなり。飢え死んでも御家来の内なり。殿立て通すことは仏神の勧めにも見向も仕らざる合黙(ごうもく)にて、朽ち果て申さるべし。」と申し候由。
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葉隠・聞書第一四誓願(しせいがん)の琢(みが)き上げは、武士道に於(お)いて後(おく)れを取るべからず、これも武勇を天下にあらわすべき事と覚悟すべし。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直(なお)りて諫(いさ)むべき事、これも武勇なり。孝は忠に附(つ)くなり。同じ物なり。人の為になるべき事、これをあらゆる人を御用に立つ者に仕(し)なすべしと心得べし。
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言志四録・南洲手抄智仁勇は、人皆大徳企て難しと謂ふ。然れども凡そ邑宰たる者は、固と親民の職たり。其の奸慝を察し、孤寡を矜み、強梗を折くは、即ち是れ三徳の実事なり。宜しく能く実迹に就いて以て之を試みて可なるべし。
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葉隠・聞書第一武士はいつも勇み進みて、物に勝ち浮かぶ心がないと用に立たぬなり。人の難(なん)に逢うたる折、見舞(みまい)に行きて一言(ひとこと)が大事のものなり。その人の胸中(きょうちゅう)が知るる知るるものなり。とかく武士はしおたれ、草臥(くたび)るる草臥るるは疵(きず)なり。勇み進みて、物に勝ち浮かぶ心にてなければ、用に立たざるなり。人をも引き立つる事これあるなり。