葉隠 / 聞書第一
四誓願の琢き上げは、武士道に於て後れを取るべからず、これも武勇を天下にあらはすべき事と覺悟すべし。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直りて諫むべき事、これも武勇なり。孝は忠に附くなり。同じ物なり。人の爲になるべき事、これをあらゆる人を御用に立つ者に仕なすべしと心得べし。
新字:四誓願の琢き上げは、武士道に於て後れを取るべからず、これも武勇を天下にあらはすべき事と覚悟すべし。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直りて諫むべき事、これも武勇なり。孝は忠に附くなり。同じ物なり。人の為になるべき事、これをあらゆる人を御用に立つ者に仕なすべしと心得べし。
書き下し
四誓願(しせいがん)の琢(みが)き上げは、武士道に於(お)いて後(おく)れを取るべからず、これも武勇を天下にあらわすべき事と覚悟すべし。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直(なお)りて諫(いさ)むべき事、これも武勇なり。孝は忠に附(つ)くなり。同じ物なり。人の為になるべき事、これをあらゆる人を御用に立つ者に仕(し)なすべしと心得べし。
現代語訳
四つの誓願を磨き上げ、武士道・忠・孝・人のためという本義を会得せよ。第一に、武士道において人に後れを取ってはならない――これは武勇を天下に示すことだと覚悟せよ。第二に、主君の役に立つこと――ときには家老の席に進み出て主君を諫めることも、また武勇である。第三の孝は、忠に付き従うもので、忠と同じ一つのものだ。第四に、人のためになること――これは、あらゆる人をそれぞれ役に立つ者に育て上げることだと心得よ。
解説
葉隠の実践的な柱である「四誓願」を、一つずつ噛み砕いた一条です。四誓願とは、武士道に後れを取らぬこと、主君の御用に立つこと、親に孝行すること、人のためになること――この四つを日々磨き上げよ、というのが常朝の教えです。注目すべきは、それぞれを「武勇」と結びつけている点です。主君を諫めることも武勇、人を育てることも大慈悲の実践だとして、勇気を戦場の働きに限らず、直言や育成にまで広げています。孝は忠と一つ、とも言い切ります。第五条や第一〇九条でも、判断に迷ったらこの四誓願に照らせと説かれており、これが葉隠の行動原理の核であることがわかります。現代でも、日々立ち返る「自分の四本柱」を持つことは、ぶれない生き方の支えになります。信条を磨き続けよと促す一条です。
この章句が説くこと
四誓願行動原理武勇忠と孝人を育てる信条
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