言志四録 / 南洲手抄
智仁勇、人皆謂大徳難企。然凡爲邑宰者、固爲親民之職。其察奸慝、矜孤寡、折強梗、即是三徳實事。宜能就實迹以試之可也。
新字:智仁勇、人皆謂大徳難企。然凡為邑宰者、固為親民之職。其察奸慝、矜孤寡、折強梗、即是三徳実事。宜能就実迹以試之可也。
書き下し
智仁勇は、人皆大徳企て難しと謂ふ。然れども凡そ邑宰たる者は、固と親民の職たり。其の奸慝を察し、孤寡を矜み、強梗を折くは、即ち是れ三徳の実事なり。宜しく能く実迹に就いて以て之を試みて可なるべし。
現代語訳
智・仁・勇という三つの徳は、誰もが「大きな徳で、とても身につけられない」と言う。しかし、およそ町や村の長たる者は、もともと民に親しく接する職である。悪事を見抜くこと(智)、孤児や寡婦をあわれむこと(仁)、横暴な者をくじくこと(勇)——これがそのまま三徳の実際の姿だ。だから、実際の職務の中で、これを試み実践すればよいのである。
解説
高遠に見える「智仁勇」の三徳を、日々の職務に引き下ろした一条です。智・仁・勇と聞くと、誰もが「自分には無理な大徳だ」と身構えます。しかし一斎は、地方の役人の仕事を例に、悪事を見抜くのが「智」、弱者を憐れむのが「仁」、横暴をくじくのが「勇」——三徳はそのまま日々の職務の中にあると説きます。だから徳は、観念で悩むのではなく、実際の仕事の中で試し実践すればよい。徳や理想を手の届かない高みに祭り上げず、目の前の職責の中で実践せよという、一斎らしい実践主義。立派な理想を「自分には無理」と遠ざけがちな私たちに、それは日々の仕事の中にあると引き寄せる一条です。
この章句が説くこと
智仁勇三徳実践日々の職務
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