葉隠 / 聞書第一
仕合せよき時分の、第一の用心は、自慢奢りなり。常の一倍せでは、あぶなきなり。
書き下し
仕合せ(しあわせ)よき時分の、第一の用心は、自慢奢(おご)りなり。常の一倍せでは、あぶなきなり。
現代語訳
運のよい、うまくいっている時の第一の用心は、自慢と奢りである。普段の倍は用心しなければ危ない。
解説
順境のとき最も警戒すべきは自慢と奢りだ、と説く短い一条です。うまくいっている時こそ、普段の倍も用心せよと言います。人は逆境では身を慎むものの、順境では気が緩み、慢心が身を滅ぼす種になります。背景には、栄枯盛衰の激しい武士社会で、絶頂の時ほど足元を固めよという処世の知恵があります。葉隠には順境の危うさを説く条がいくつもあり、これはその凝縮された一つです。現代でも、成功や好調が続くときほど油断や傲慢が生まれ、思わぬ失敗を招くことは多いでしょう。よい時こそ気を引き締めよ、というのは古今変わらぬ戒めです。短いながら、成功のただ中でこそ読み返したい言葉といえます。
この章句が説くこと
順境の用心自慢奢り慢心への戒め絶頂での自制栄枯盛衰
関連する章句
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葉隠・聞書第一順境には自慢と奢りがあぶなきなり。その時は、日頃の倍(ばい)慎まねば、追ひ付かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥(くたび)るるものなり。
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葉隠・聞書第二奉公人の禁物(きんもつ)は、何事(なにごと)にて候(そうろ)はんや。」と尋ね候へば、大酒(たいしゅ)・自慢(じまん)・奢(おご)りなるべし。不仕合(ふしあわ)せの時は気遣(きづか)いなし。ちと仕合せよき時分、この三箇条(さんかじょう)あぶなきものなり。人の上を見給(みたま)え、やがて乗気(のりき)さし、自慢・奢りが附(つ)きて散々(さんざん)苦しく候。それゆゑ、人は苦を見たるものならでは根性(こんじょう)すわらず、若き中には随分(ずいぶん)不仕合せなるがよし。不仕合せの時草臥(くたび)るる者は、益に立たざるなりと。
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葉隠・聞書第十一後悔の事。後悔ほど苦しきものはなし。我人(われひと)後悔なき様(さま)ありたきものなり。されど我が身の仕合(しあわ)せよく、乗気(のりき)さし、又常にも、うかと気乗りして気ぬけ候時は、多分先を顧みずして行き当り、後悔するものなり。よくよく気をぬかさず、仕合せよき時分、気をしずめ申すべき事なり。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
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葉隠・聞書第一吉凶につき、仰せ渡しなどの時、無言にて引き取りたるも、当惑の体(てい)に見ゆるなり。よき程の御請(おうけ)あるべき事なり。前方(ぜんぽう)の覚悟が肝要なり。また、役など仰せ付けられ候節、内心に嬉しく思い、自慢の心などあれば、そのまま面(つら)に顕るるものなり。数人見及びたり。見苦しきものなり。我ら不調法なるに、かような役仰せ付けられ、何と相調(あいととの)うべきや、さてさて迷惑千万、気遣(きづか)いなる事かなと、我が非を知りたる人は詞(ことば)に出さずとも面に顕れ、おとなしく見ゆるなり。浮気にて、ひょうすくは道にも違い、初心(うぶ)にも見え、多分仕損じあるものなり。
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葉隠・聞書第一少(すこ)し智慧(ちえ)ある者(もの)は、当代(とうだい)を諷(ふう)する(皮肉る)ものなり。災(わざわ)いの基(もと)なり。口(くち)をたしなむ者(もの)は、善世(ぜんせ)には用(もち)いられ、悪世(あくせ)には刑戮(けいりく)をまぬかるるものなり。