葉隠 / 聞書第一
吉凶に付、仰渡しなどの時、無言にて引取りたるも、當惑の體に見ゆるなり。能き程の御請あるべき事なり。前方の覺悟が肝要なり。又、役など仰付けられ候節、内心に嬉しく思ひ、自慢の心などあれば、其の儘面に顯はるゝものなり。數人見及びたり。見苦しきものなり。我等不調法なるに、斯樣の役仰付けられ、何と相調ふべきや、さてさて迷惑千萬、氣遣なる事かなと、我が非を知りたる人は詞に出さずとも面に顯はれ、おとなしく見ゆるなり。浮氣にて、ひようすくは道にも違ひ、初心にも見え、多分仕損じあるものなり。
新字:吉凶に付、仰渡しなどの時、無言にて引取りたるも、当惑の体に見ゆるなり。能き程の御請あるべき事なり。前方の覚悟が肝要なり。又、役など仰付けられ候節、内心に嬉しく思ひ、自慢の心などあれば、其の儘面に顕はるゝものなり。数人見及びたり。見苦しきものなり。我等不調法なるに、斯様の役仰付けられ、何と相調ふべきや、さてさて迷惑千万、気遣なる事かなと、我が非を知りたる人は詞に出さずとも面に顕はれ、おとなしく見ゆるなり。浮気にて、ひようすくは道にも違ひ、初心にも見え、多分仕損じあるものなり。
書き下し
吉凶につき、仰せ渡しなどの時、無言にて引き取りたるも、当惑の体(てい)に見ゆるなり。よき程の御請(おうけ)あるべき事なり。前方(ぜんぽう)の覚悟が肝要なり。また、役など仰せ付けられ候節、内心に嬉しく思い、自慢の心などあれば、そのまま面(つら)に顕るるものなり。数人見及びたり。見苦しきものなり。我ら不調法なるに、かような役仰せ付けられ、何と相調(あいととの)うべきや、さてさて迷惑千万、気遣(きづか)いなる事かなと、我が非を知りたる人は詞(ことば)に出さずとも面に顕れ、おとなしく見ゆるなり。浮気にて、ひょうすくは道にも違い、初心(うぶ)にも見え、多分仕損じあるものなり。
現代語訳
役目を命じられても慢心するな。浮ついた心でいると、仕損じが起こるものだ。慶事にせよ弔事にせよ、役目を申し渡されたとき、黙ったまま引き下がるのも、戸惑っているように見える。ほどよい受け答えをすべきだ。前もっての心構えが肝心である。また、役目を命じられたとき、内心で嬉しく思い、得意げな心があると、それはそのまま顔に出てしまうものだ。そういう例を何人も見てきた。見苦しいものである。反対に、「不調法な自分にこんな役目を命じられて、どう果たせばよいのか、まことに困ったこと、気がかりなことだ」と、我が身の至らなさを知る人は、口には出さなくても、その慎み深さが顔に表れて、落ち着いて見えるものだ。浮ついて軽々しくしていると、道にも外れ、未熟にも見え、たいてい仕損じるものである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。
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史記 管晏列伝晏子斉の相たり。出づ。其の御の妻、門間よりして其の夫を闚ふ。其の夫、相の御を為して、大蓋を擁し、駟馬に策ち、意気揚揚として甚だ自ら得たるなり。既にして帰る。其の妻去らんことを請ふ。夫其の故を問ふ。妻曰く、「晏子の長けは六尺に満たずして、身は斉国に相たり、名は諸侯に顕はる。今妾其の出づるを覩るに、志念深く、常に自ら下る有る者なり。今子は長け八尺、乃ち人の僕御為り、然るに子の意は自ら以て足れりと為す。妾是の以に去らんことを求むるなり」と。其の後夫自ら抑損す。晏子怪しみて之を問ふ。御実を以て対ふ。晏子薦めて大夫と為す。
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尚書・仲虺之誥自ら師を得る者は王たり、人(ひと)己(おのれ)に若(し)く莫(な)しと謂(い)う者は亡ぶ。