葉隠 / 聞書第一
何某、今の役にて音物を受けず、其の上返したる時、據所無くして家來共が潛かに留置て、時々に手形をとらせ候由。其の外、一惣取入、云入、頼事ならず、佐嘉中取沙汰の由に候。初心なる事にて候。欲深にはましなれども、眞の志にはあらず、我が身立ち候仕方なり。今時、此の分する衆もなき故、欲は内心に離れ、目に立たぬ様にするが、ならぬものなり。
新字:何某、今の役にて音物を受けず、其の上返したる時、拠所無くして家来共が潜かに留置て、時々に手形をとらせ候由。其の外、一惣取入、云入、頼事ならず、佐嘉中取沙汰の由に候。初心なる事にて候。欲深にはましなれども、真の志にはあらず、我が身立ち候仕方なり。今時、此の分する衆もなき故、欲は内心に離れ、目に立たぬ様にするが、ならぬものなり。
書き下し
何某(なにがし)、今の役にて音物(いんもつ)を受けず、其の上返したる時、拠所(よんどころ)無くして家来共が潜かに留め置きて、時々に手形をとらせ候由。其の外、一惣(いっそう)取り入り、云い入り、頼み事ならず、佐嘉(さが)中取り沙汰の由に候。初心なる事にて候。欲深にはましなれども、真の志にはあらず、我が身立ち候仕方なり。今時、此の分する衆もなき故、欲は内心に離れ、目に立たぬ様にするが、ならぬものなり。
現代語訳
ある人が今の役目に就いて贈り物を受け取らず、返してしまうので、やむを得ず家来たちがひそかに預かって、その都度受取の証文を取っていたという。そのほか一切の付け届けや口利き、頼み事も受け付けないので、佐賀じゅうで評判になっているとのことだ。これは考えの浅いやり方である。欲深よりはましだが、真の志から出たものではなく、自分の身(評判)を立てるためのやり方だ。今どきこういうことをする者もいないので目立つのだが、本来は欲を内心から離し、人目に立たないようにするのが望ましく、それがなかなかできないのである。
解説
賄賂や付け届けを一切断り、返してしまう清廉ぶりが佐賀じゅうで評判になった人物を、著者はむしろ「初心(未熟)」と評します。欲深よりはましだが、これ見よがしの潔癖は、真の志ではなく自分の評判を作るための振る舞いに見える、というのです。背景には、徳は人目を意識した演技になった時点で濁る、という葉隠の厳しい人間観があります。本当の清廉とは、欲を内心から手放し、それを目立たせないことだと説きます。現代でも、正しさをアピールする行為が自己演出に傾く危うさは通じるでしょう。清く在ることと、清さを見せることは違う、という戒めとして読めます。
この章句が説くこと
清廉真の志自己演出への戒め目立たない徳内心評判
関連する章句
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)事、数年の精勤(せいきん)にて、我も人も一廉(ひとかど)御褒美(ごほうび)仰せ付けらるべしと存じ居り候ところ、御用手紙参り、諸人前方(ぜんぽう)より祝儀(しゅうぎ)を述べ候。然るところ、役米(やくまい)加増(かぞう)仰せ付けられ候に付て、皆人案外(あんがい)の儀と存じ候。然れども仰せ付けの事に候故、悦び申し候えば、何某以ての外貌振(かおぶ)り悪しく、「面目無き仕合せに御座候。畢竟(ひっきょう)御用に相立たざる者に候故、斯くの如きの行き掛かり、是非御断り申し候て引き取り申すべし。」などと申し候に、入魂(じっこん)の衆色々申し宥(なだ)め候て、相勤め申し候。これ偏(ひと)えに奉公の覚悟これなく、唯(ただ)我が身自慢の故にて候。御褒美の事は擬(なぞら)え置き、侍を足軽に召し成され、何の科(とが)もこれなきを切腹仰せ付けられ候時、一入(ひとしお)勇み進み候こそ御譜代(ごふだい)の御家来にて候。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)へ町方(まちかた)の何某が訴状(そじょう)を渡すべしと申し候時、請け取るまじきと申し候を、何某が居合わせ、「まず請け取り置き候て、無用と候わば返し申され候えかし」と申し候に付いて、「さらば請け取り置くべし」と申し候時、「請け取らせる物を請け取らずに置く事がなるものか」と、いやしめ申され候由、話す人あり。役所々々(やくしょやくしょ)にて慇懃に取り合うのが士の作法にてあらずとなり。
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