葉隠 / 聞書第一
四十歳より内は、智慧分別をのけ、強み過ぐる程がよし。人により、身の程により、四十過ぎても、強みなければ響きなきものなり。
書き下し
四十歳より内は、智慧分別をのけ、強み過ぐる程がよし。人により、身の程により、四十過ぎても、強みなければ響きなきものなり。
現代語訳
四十歳までは、知恵や分別はさておいて、強気すぎるくらいがよい。人により、身の程によっては、四十を過ぎても、強みがなければ人に響く重みが出ないものだ。
解説
四十歳までは、知恵や分別はさておいて、強気すぎるくらいがよい、と説く一条です。人や身の程によっては、四十を過ぎても、強みがなければ人に響く重みが出ない、とも述べます。若いうちから利口ぶって分別を先に立てると、勢いや押しが失われる。まずは体当たりの強さを養え、という考えです。葉隠は各所で、小賢しさより腹の据わった強さを重んじ、分別が過ぎると行動が遅れると戒めます。現代でも、若い時期は失敗を恐れて器用に立ち回るより、思い切って踏み込む経験が地力を作ります。年齢に応じて強さと落ち着きの配分は変わるにせよ、まず芯の強さを備えることの大切さを説いた一節です。
この章句が説くこと
強さ若さ分別より行動押しの強さ年齢と成長芯の強さ
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