葉隠 / 聞書第一
石田一鼎曰く、「善き事とは一口にいへば苦痛をとらふる事なり。苦をとらへぬは皆惡しき事なり。」と。
新字:石田一鼎曰く、「善き事とは一口にいへば苦痛をとらふる事なり。苦をとらへぬは皆悪しき事なり。」と。
書き下し
石田一鼎(いってい)曰く、「善き事とは一口にいへば、苦痛をとらふる事なり。苦をとらへぬは、皆悪しき事なり」と。
現代語訳
石田一鼎が言った。「善いこととは、一言でいえば苦痛を引き受けることである。苦しみを引き受けないのは、すべて悪いことだ。」
解説
石田一鼎の言葉として、「善いこととは、一言でいえば苦痛を引き受けることである。苦しみを引き受けないのは、すべて悪いことだ」と伝える簡潔な一条です。楽な方、痛みを避ける方へ逃げる選択を「悪」とし、あえて苦を引き受ける方を「善」と定義しています。葉隠には、死や困難を先に引き受けることで迷いなく生きられるという逆説が流れており、この一言もその精神を凝縮したものです。現代でも、面倒や痛みを伴う選択ほど、後で自分や周囲のためになることは多いものです。何が正しいか迷ったとき、「どちらがより苦しいか」を目安に選ぶ、という素朴で力強い判断基準を示しています。
この章句が説くこと
善悪の基準苦を引き受ける逃げない逆説困難への態度覚悟
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
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