葉隠 / 聞書第一
は危ふきなり。言ひ聞かする人が無きものなり。大意を申すべし。貞女兩夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のものなり。さなければ、野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。是は武士の耻なり。「念友のなき前髪は、縁夫もたぬ女にひとし。」と西鶴が書きしは名文なり。人がなぶりたがるものなり。浮氣者は根に入らず、後は見はなすものなり。互に命を捨つる後見なれば、よくゝゝ性根を見届くべきなり。くねる者あらば「障あり」と云うて、手強く振り切るべし。「障は」とあらば、「それは命の内に申すべしや。」と云ひ、むたいに申さば腹立て、無理ならば切り捨つべし。又男の方は、若衆の心底を見届くること前に同じ。命を抛ちて五六年はまれば、叶はぬと云ふ事なし。尤も二道すべからず。武道を勵むべし。爰にて武士道となるなり。
新字:は危ふきなり。言ひ聞かする人が無きものなり。大意を申すべし。貞女両夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のものなり。さなければ、野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。是は武士の耻なり。「念友のなき前髪は、縁夫もたぬ女にひとし。」と西鶴が書きしは名文なり。人がなぶりたがるものなり。浮気者は根に入らず、後は見はなすものなり。互に命を捨つる後見なれば、よくゝゝ性根を見届くべきなり。くねる者あらば「障あり」と云うて、手強く振り切るべし。「障は」とあらば、「それは命の内に申すべしや。」と云ひ、むたいに申さば腹立て、無理ならば切り捨つべし。又男の方は、若衆の心底を見届くること前に同じ。命を抛ちて五六年はまれば、叶はぬと云ふ事なし。尤も二道すべからず。武道を勵むべし。爰にて武士道となるなり。
書き下し
…は危ふきなり。言ひ聞かする人が無きものなり。大意を申すべし。貞女両夫にまみえずと心得べし。情は一生一人のものなり。さなければ、野郎かげまに同じく、へらはり女に等し。是は武士の恥なり。「念友(ねんゆう)のなき前髪は、縁夫(えんぷ)もたぬ女に等し」と西鶴が書きしは名文なり。人がなぶりたがるものなり。浮気者は根に入らず、後は見放すものなり。互に命を捨つる後見(うしろみ)なれば、よくよく性根を見届くべきなり。くねる者あらば「障(さわ)りあり」と云うて、手強く振り切るべし。「障りは」とあらば、「それは命の内に申すべしや」と云ひ、無体(むたい)に申さば腹立て、無理ならば切り捨つべし。又男の方は、若衆の心底を見届くること前に同じ。命を抛(なげう)ちて五六年はまれば、叶はぬと云ふ事なし。尤も二道すべからず。武道を励むべし。爰(ここ)にて武士道となるなり。
現代語訳
(衆道の情も)危ういものである。それを言い聞かせてくれる人がいないので、大意を述べておこう。「貞女は二人の夫にまみえず」と心得るべきだ。情は生涯ただ一人に向けるものである。そうでなければ、遊びの相手と変わらず、軽々しい女と同じで、武士の恥だ。「念友のいない前髪(の若衆)は、夫を持たぬ女に等しい」と西鶴が書いたのは名文である。人は(そういう者を)からかいたがるものだ。浮気者は情が根に入らず、後には相手を見放す。互いに命を預け合う間柄なのだから、よくよく相手の性根を見極めるべきだ。すねて離れようとする者があれば「差し障りがある」と言って、きっぱりと振り切るがよい。相手が「障りとは何か」と問うなら「それは命のあるうちに言うべきことか」と返し、それでも無体に迫るなら怒り、無理を通すなら切り捨てよ。また男の側も、若衆の本心を見届けることは同じである。命を投げ出して五、六年心を尽くせば、通じ合わぬということはない。ただし二股をかけてはならない。武道に励むべきだ。ここでこそ武士道となるのである。
解説
この章句が説くこと
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