葉隠 / 聞書第一
武士は萬事に心を附け、少しにても後れになる事を嫌ふべきなり。就中物言ひに不吟味なれば、「我は臆病なり、其の時は逃げて申すべし、おそろしき、痛い。」などといふことあり。たはぶれにも、寢言にも、たは言にも、いふまじき詞なり。心ある者の聞いては、心の奧推しはかるものなり。
新字:武士は万事に心を附け、少しにても後れになる事を嫌ふべきなり。就中物言ひに不吟味なれば、「我は臆病なり、其の時は逃げて申すべし、おそろしき、痛い。」などといふことあり。たはぶれにも、寝言にも、たは言にも、いふまじき詞なり。心ある者の聞いては、心の奥推しはかるものなり。
書き下し
武士は万事(ばんじ)に心を附け、少しにても後れになる事を嫌ふべきなり。就中(なかんずく)物言ひに不吟味(ふぎんみ)なれば、「我は臆病なり、其の時は逃げて申すべし、おそろしき、痛い。」などといふことあり。たはぶれにも、寝言にも、たは言(ごと)にも、いふまじき詞(ことば)なり。心ある者の聞いては、心の奥推(お)し量るものなり。
現代語訳
武士は何事にも気を配り、少しでも遅れをとるようなことを嫌わねばならない。とりわけ言葉づかいに注意を欠くと、「自分は臆病だ、いざとなれば逃げるだろう、こわい、痛い」などとつい口にしてしまうことがある。冗談にも、寝言にも、たわ言にも、決して言ってはならない言葉である。心得た者がそれを聞けば、その人の心の奥底を推し量ってしまうものだから。
解説
何気ない言葉が人柄を露わにする、という戒めです。武士は覚悟を第一とするため、たとえ冗談や寝言であっても「こわい」「逃げる」といった弱気の言葉を口にすべきではないと説きます。背景には、日頃の言葉が心を形づくり、心がいざという時の振る舞いを決めるという考えがあります。弱音を軽々しく口にする習慣は、知らぬ間に心を弱くする、というわけです。しかも、聞く人はその一言から本性を見抜いてしまう。現代でも、口ぐせや冗談に本音がにじむことは多く、後ろ向きな言葉を繰り返せば自分も周囲もそう受け取っていきます。過度に言葉を封じる必要はありませんが、普段の言葉が自分をつくるという視点は、今も十分に通じるでしょう。
この章句が説くこと
言葉づかい口ぐせ覚悟本性が表れる弱音習慣が心をつくる
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