葉隠 / 聞書第一
功になる話を聞く人さへなし。まして修行する人はなし。此の前より方々にて數人出會ひ申し候に、皆加減して話し申し候。一ぱいを話し候はば、きらし申さるべく候。
新字:功になる話を聞く人さへなし。まして修行する人はなし。此の前より方々にて数人出会ひ申し候に、皆加減して話し申し候。一ぱいを話し候はば、きらし申さるべく候。
書き下し
功(こう)になる話を聞く人さへなし。まして修行する人はなし。此の前より方々(ほうぼう)にて数人出会ひ申し候に、皆加減(かげん)して話し申し候。一ぱいを話し候はば、きらし申さるべく候。
現代語訳
ためになる話を聞こうとする人がいない、めいっぱい話すと敬遠されてしまう。身につく話を聞く人さえいないのだから、まして実際に修行する人はいない。この前からあちこちで数人と出会って話したが、みな加減して(控えめに)話しておいた。もし洗いざらい全部話したら、うんざりされて嫌がられてしまうだろう。
解説
教えを受け取る側の姿勢を嘆いた一節です。ためになる話を聞こうとする人がおらず、まして実行する人はいない。だから相手に合わせて内容を控えめに加減している、全部話せば煙たがられるだけだ、と著者は嘆きます。どれほど良い教えも、受け取る器のある聞き手がいなければ生きないという現実を突いています。『葉隠』は口伝を重んじ、聞き手を選ぶ姿勢が随所に見られます。現代にも通じるのは、学びは伝える側だけでなく受け取る側の構えで決まるという点です。素直に聞き、実行しようとする姿勢があってこそ、良い助言は自分の力になる、と裏返しに読むことができるでしょう。
この章句が説くこと
聞く姿勢学びの受け手素直さ実行に移す教えを生かす器のある聞き手
関連する章句
-
葉隠・聞書第一海音(かいおん)和尚の前にて、草紙(そうし)を御読み候が、「小物(こもの)ども小僧達(こぞうたち)、皆参りて聞かれ候え、聞き手が少なければ読みにくし」と御申し候。和尚感心し、小僧どもに、「何事もあの気(き)ぞ」と申し候なり。
-
葉隠・聞書第二貴人、老人などの前にて、左右(とかく)なく学問かた、道徳の事、昔話等遠慮すべし。聞きにくし。聞きにくく。
-
葉隠・聞書第二奉公人には良き手本が入る事に候えども、律儀(りちぎ)なる事は村岡五兵衛(むらおかごへえ)にて候。物を書き調べ候事は原田殿(はらだどの)以後に見及ばず候。さても人は無きものなり。あれこれ寄せても昔の一人前にもならず候。尤(もっと)も昔もすくなきなるべし。若き衆は少し精出し候わば、上手取る時節なるに、油断ぞ、となり。
-
葉隠・聞書第一学問(がくもん)はよき事なれども、多分(たぶん)、失(しつ)出来(いでく)るものなり。ある者を見ても、我が心の非(ひ)を知るべき為(ため)にすれば、そのまま用に立つなり。然れども斯様(かよう)には成り兼(か)ぬるものなり。大方(おおかた)見解(けんげ)が高くなり、理好(りず)きになるなり。江南和尚(こうなんおしょう)の禁(いまし)めの通りなり。
-
葉隠・聞書第一利発(りはつ)にて万事を押し附けて済まし申され候。今、日本に手向(てむか)ひ申す出家(しゅっけ)なし。大根(だいこん・根本)を見届くる力ある人なきものなり。
-
葉隠・聞書第二功者(こうしゃ)の話等聞く時、たとへ我が知りたる事にても、深く信仰(しんこう)して聞くべきなり。同じ事を十度(じゅうど)も二十度(にじゅうど)も聞くに、不図(ふと)胸に請取(うけと)る時節(じせつ)あり。其の時は格別(かくべつ)のものになるなり。老(おい)の繰言(くりごと)と云ふも功者(こうしゃ)なる事なりと。