葉隠 / 聞書第一
利發にて萬事を押附けて濟まし申され候。今、日本に手向ひ申す出家なし。大根を見届くる力ある人なきものなり。
新字:利発にて万事を押附けて済まし申され候。今、日本に手向ひ申す出家なし。大根を見届くる力ある人なきものなり。
書き下し
利発(りはつ)にて万事を押し附けて済まし申され候。今、日本に手向(てむか)ひ申す出家(しゅっけ)なし。大根(だいこん・根本)を見届くる力ある人なきものなり。
現代語訳
才知にまかせて、何事も理屈で押し切って片づけてしまわれる。今の日本には、それに正面から立ち向かえる僧はいない。物事の根本を見届けるだけの力を持った人が、いないのである。
解説
才知だけで押し通すことの限界を嘆いた一節です。ある人物が、頭の切れにまかせて何でも理屈で押し切って片づけてしまう。それに真っ向から対抗できる僧は今の日本にいない、と言います。しかし著者の眼目は才知への称賛ではなく、「物事の根本を見届ける力を持つ人がいない」という嘆きにあります。表面的な切れ味と、事の本質を見抜く深い力とは別物だ、という洞察です。『葉隠』は小ざかしい理屈より、腹の据わった本質の把握を重んじました。現代でも、弁の立つ人が議論に勝つことと、問題の核心を見抜くことは違います。切れ味に流されず本質を見る目の大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
本質を見抜く才知の限界理屈で押し切る根本洞察力表面と本質
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