葉隠 / 聞書第一
湛然和尚御申し候。奉公人の利發なるは、のだゝぬものなり。されども、ふうけの、人に成りたる事はなし。
新字:湛然和尚御申し候。奉公人の利発なるは、のだゝぬものなり。されども、ふうけの、人に成りたる事はなし。
書き下し
湛然(たんねん)和尚御申し候。奉公人の利発なるは、のだたぬものなり。されども、ふうけ(腑抜け)の、人に成りたる事はなし。
現代語訳
湛然和尚が言われた。「奉公人が利発なのは、あまり役に立たぬものだ。とはいえ、愚か者が立派な人物になった例もない。」
解説
湛然和尚の言葉として、「奉公人が利発なのは、あまり役に立たぬものだ。とはいえ、愚か者が立派な人物になった例もない」と伝える一条です。才気ばしった賢さは、かえって組織の中で浮いてしまい実際の役には立ちにくい。しかし、まるきりの愚か者が大成することもない、という両面を突いています。葉隠は各所で、小賢しい利口者より素直で腹の据わった者を評価しますが、ここでは同時に、鈍さを美化しすぎることもしていません。現代でも、頭の回転の速さだけでは信頼や成果に直結せず、素直さや誠実さが伴って初めて生きます。賢さの使いどころを問い直させる、含みのある一言です。
この章句が説くこと
利発素直さ賢さの使い方誠実過信を戒める奉公
関連する章句
-
伝習録・陸澄録問う、「『惟精』『惟一』は是れ如何にして功を用うるか」と。先生曰く、「『惟一』は是れ『惟精』の主意、『惟精』は是れ『惟一』の功夫なり。『惟精』の外に、復た『惟一』有るに非ざるなり。『精』の字は米に従う。姑(しばら)く米を以て之に譬えん。此の米をして純然として潔白ならしめんことを要するは、便ち是れ『惟一』の意なり。然れども舂(つ)き簸(ひ)り篩(ふる)い揀(えら)ぶ『惟精』の功を加うるに非ずんば、則ち純然として潔白なる能わざるなり。舂き簸り篩い揀ぶは是れ『惟精』の功なり。然れども亦た此の米をして純然として潔白なるに到らしめんことを要するに過ぎざるのみ。博く学び、審らかに問い、慎みて思い、明らかに弁じ、篤く行う者は、皆な『惟精』を為して『惟一』を求むる所以なり。他の『博文』の如き者は、即ち『約礼』の功なり。『格物』『致知』なる者は、即ち『誠意』の功なり。『道問学』は即ち『尊徳性』の功なり。『明善』は即ち『誠身』の功なり。二説無きなり」と。
-
徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
-
論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
-
尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。