葉隠 / 聞書第一
何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと當り合ひになる故はつきりとしたる事なし。何某身上崩しの事を諸人嘲り申し候。又「御主人の御懇も御だしからざる事にて候に、不運にて殘念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さて〳〵不當介の人かな、志深き者はだまさる〻が一入嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
新字:何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと当り合ひになる故はつきりとしたる事なし。何某身上崩しの事を諸人嘲り申し候。又「御主人の御懇も御だしからざる事にて候に、不運にて残念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さて〳〵不当介の人かな、志深き者はだまさる〻が一入嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
書き下し
何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと当り合ひになる故、はつきりとしたる事なし。何某(なにがし)身上(しんしょう)崩しの事を諸人(しょにん)嘲(あざけ)り申し候。又「御主人の御懇(ごこん)も御だしからざる事にて候に、不運にて残念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さてさて不当介(ふとうがい)の人かな、志深き者はだまさるるが一入(ひとしお)嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
現代語訳
何事も、人より一段高い所に立って物を見なければならない。同じ低さでうろうろして、がたがたとぶつかり合っているから、物事がはっきりしないのだ。ある者が身代を潰した件を、みなが嘲笑した。また「ご主人の格別の恩顧も大したものではなかったのに、不運で気の毒なことだ。ありがたいとも思うまい」と言う人がいたので、「まったく物の分からぬ人だなあ。志の深い者は、(主君のために)だまされて損をするのこそ、いっそう嬉しいものなのだ」と、諭してやったのである。
解説
視点を一段高く持てと説いた一節です。誰もが同じ低い目線でぶつかり合うから物事がこじれる、一段上から見よと言います。後半は具体例で、主君のために損をして身代を潰した者を人々があざ笑い、「恩も薄かったのに気の毒だ」と言うのに対し、著者は「志の深い者はむしろ主君のためにだまされて損をするのこそ嬉しいのだ」と諭します。損得の計算を超えた献身の境地を示しているのです。現代にそのまま重ねる話ではありませんが、目先の損得だけで人や出来事を測る狭さを離れ、一段高い視点で物事の意味を捉える姿勢は、今も学ぶところがあるでしょう。
この章句が説くこと
高い視点損得を超える献身俯瞰する志目先にとらわれない
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