葉隠 / 聞書第一
何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと當り合ひになる故はつきりとしたる事なし。何某身上崩しの事を諸人嘲り申し候。又「御主人の御懇も御だしからざる事にて候に、不運にて殘念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さて〳〵不當介の人かな、志深き者はだまさる〻が一入嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
新字:何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと当り合ひになる故はつきりとしたる事なし。何某身上崩しの事を諸人嘲り申し候。又「御主人の御懇も御だしからざる事にて候に、不運にて残念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さて〳〵不当介の人かな、志深き者はだまさる〻が一入嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
書き下し
何事も人よりは一段立ち上りて見ねばならず。同じあたりにぐどつきて、がたひしと当り合ひになる故、はつきりとしたる事なし。何某(なにがし)身上(しんしょう)崩しの事を諸人(しょにん)嘲(あざけ)り申し候。又「御主人の御懇(ごこん)も御だしからざる事にて候に、不運にて残念の事。有難くも存ぜず。」と申す人候故、「さてさて不当介(ふとうがい)の人かな、志深き者はだまさるるが一入(ひとしお)嬉しきものにて候。」と、申し聞け候なり。
現代語訳
何事も、人より一段高い所に立って物を見なければならない。同じ低さでうろうろして、がたがたとぶつかり合っているから、物事がはっきりしないのだ。ある者が身代を潰した件を、みなが嘲笑した。また「ご主人の格別の恩顧も大したものではなかったのに、不運で気の毒なことだ。ありがたいとも思うまい」と言う人がいたので、「まったく物の分からぬ人だなあ。志の深い者は、(主君のために)だまされて損をするのこそ、いっそう嬉しいものなのだ」と、諭してやったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
-
『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
-
『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
-
『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
-
論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る