葉隠 / 聞書第一
主君・頭人の氣風をはかり、我が爲に勤むる者は、たとへ十度圖りて當るとも、一度圖りて迦したる時、滅亡して汚な崩しをするなり。手前に一定したる忠心なく、私曲邪智の深きよりする事なり。
新字:主君・頭人の気風をはかり、我が為に勤むる者は、たとへ十度図りて当るとも、一度図りて迦したる時、滅亡して汚な崩しをするなり。手前に一定したる忠心なく、私曲邪智の深きよりする事なり。
書き下し
主君・頭人(とうにん)の気風(きふう)をはかり、我が為に勤むる者は、たとへ十度図りて当るとも、一度図りて迦(はず)したる時、滅亡して汚(きたな)な崩しをするなり。手前(てまえ)に一定(いちじょう)したる忠心なく、私曲邪智(しきょくじゃち)の深きよりする事なり。
現代語訳
役目をえり好みして自分の利益のために勤める者は、身を滅ぼす。主君や上役の気分をうかがい、自分の得のために立ち回る者は、たとえ十回はかりごとが当たっても、一度読みが外れたときに、滅亡してみっともない崩れ方をする。それは、自分の内に定まった忠義の心がなく、よこしまな私欲や小ざかしい知恵が深いところから来ているのである。
解説
打算で奉公する危うさを説いた一節です。役目をえり好みし、上役の顔色をうかがって自分の得だけを狙う者は、たとえ何度うまく立ち回っても、一度読みを外せば一気に崩れて醜態をさらすと言います。原因は、根に定まった忠義がなく、私欲と小ざかしい知恵で動いているからだと指摘します。処世術の勝率が高くても、土台が打算では脆いという洞察です。現代でも、上の機嫌取りと保身で成果を積んだ人が、一度の失敗で信用ごと失う例は珍しくありません。ぶれない芯を持つことが、結局は長く安定して働ける基盤になる、と読めるでしょう。
この章句が説くこと
打算をいましめる保身の危うさぶれない芯私欲一貫した忠処世術の限界
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