葉隠 / 聞書第一
何某、歸參仕初めて御目見の時申し候は、「御禮仕り候節、さて〳〵有難き事哉。冥加の仕合せにこれに過ぎず、此の上は身命を擲ち、御用に罷立つべくと觀念有るべく候。此の一心即ち御心に感應有りて御用に立つ申す事に罷立つべくと存じ候。」又「御禮前、殿中にて目に物を見ず、口に物を言はずと合點して、すべて相濟まし申すべく候。脇より見て、しつかりと見え申し候。八方を眺め口をたゝき候に付いて、内の心が外にちり、うかつげに見ゆるなり。心のすわりと申すものなり。」と申し候なり。
新字:何某、歸参仕初めて御目見の時申し候は、「御礼仕り候節、さて〳〵有難き事哉。冥加の仕合せにこれに過ぎず、此の上は身命を擲ち、御用に罷立つべくと観念有るべく候。此の一心即ち御心に感応有りて御用に立つ申す事に罷立つべくと存じ候。」又「御礼前、殿中にて目に物を見ず、口に物を言はずと合点して、すべて相済まし申すべく候。脇より見て、しつかりと見え申し候。八方を眺め口をたゝき候に付いて、内の心が外にちり、うかつげに見ゆるなり。心のすわりと申すものなり。」と申し候なり。
書き下し
何某(なにがし)、帰参(きさん)仕(つかまつ)り初(はじ)めて御目見(おめみえ)の時(とき)申(もう)し候(そうろう)は、「御礼(おれい)仕(つかまつ)り候(そうろう)節(せつ)、さてさて有難(ありがた)きことかな。冥加(みょうが)の仕合(しあわ)せこれに過(す)ぎず、この上(うえ)は身命(しんめい)を擲(なげう)ち、御用(ごよう)に罷(まか)り立(た)つべしと観念(かんねん)あるべく候(そうろう)。この一心(いっしん)すなわち御心(みこころ)に感応(かんのう)ありて御用(ごよう)に立(た)ち申(もう)すことに罷(まか)り立(た)つべしと存(ぞん)じ候(そうろう)」。また「御礼前(おれいまえ)、殿中(でんちゅう)にて目(め)に物(もの)を見(み)ず、口(くち)に物(もの)を言(い)わずと合点(がてん)して、すべて相(あい)済(す)まし申(もう)すべく候(そうろう)。脇(わき)より見(み)て、しっかりと見(み)え申(もう)し候(そうろう)。八方(はっぽう)を眺(なが)め口(くち)をたたき候(そうろう)について、内(うち)の心(こころ)が外(そと)に散(ち)り、うかつげに見(み)ゆるなり。心(こころ)のすわりと申(もう)すものなり」と申(もう)し候(そうろう)なり。
現代語訳
ある者が、帰参して初めてお目見えの時に語った。「お礼を申し上げる折、なんとも有難いことだ。これ以上の冥加(ありがたい幸せ)はない。この上は命を投げ出して御用に立とうと覚悟すべきだ。この一心こそが主君の御心に感応して、役に立てることにつながると思う」と。また「お目見えの前、殿中では目で余計なものを見ず、口で余計を言わずと心得て、すべて静かに済ませるべきだ。脇から見て、しっかりして見える。あたりを見回し口を動かしていると、内心が外に散って軽率に見える。これが心のすわり(落ち着き)というものだ」と語った。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
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葉隠・聞書第一何某申し候は、「しほがれ浪人などと云ふは難儀千萬此の上なき樣に皆人思うて、其の期には殊の外しほがれ草臥る〳〵事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。今一度浪人仕度し。」と云ふ。尤もの事なり。死の道も、平生に死習うては、心安く死ぬべき事なり。奉公人の打留は浪人切腹に極りたると、兼ねて覺悟すべきなり。災難は前方了簡したる程には無きものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。
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論語 公冶長篇子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
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葉隠・聞書第一打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穗義士の敵討は延びゝ。打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
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葉隠・聞書第一古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。