葉隠 / 聞書第一
神右衞門申し候は、「曲者は頼もしきもの、賴もしきものは曲者なり。年來ためし覺えあり。賴もしきといふは、首尾よき時は入らず、人の落目になり、難儀する時節、くぐり入りて賴もしするが賴もしなり。左様の人は必定曲者なり。」と。
新字:神右衛門申し候は、「曲者は頼もしきもの、頼もしきものは曲者なり。年来ためし覚えあり。頼もしきといふは、首尾よき時は入らず、人の落目になり、難儀する時節、くぐり入りて頼もしするが頼もしなり。左様の人は必定曲者なり。」と。
書き下し
神右衛門(じんえもん)申(もう)し候(そうろう)は、「曲者(くせもの)は頼(たの)もしきもの、頼(たの)もしきものは曲者(くせもの)なり。年来(ねんらい)ためし覚(おぼ)えあり。頼(たの)もしきというは、首尾(しゅび)よき時(とき)は入(い)らず、人(ひと)の落(お)ち目(め)になり、難儀(なんぎ)する時節(じせつ)、くぐり入(い)りて頼(たの)もしするが頼(たの)もしなり。左様(さよう)の人(ひと)は必定(ひつじょう)曲者(くせもの)なり」と。
現代語訳
神右衛門が言うには、「骨のある者(曲者)は頼りになるもの、頼りになる者は骨のある者だ。長年ためして分かっている。頼りになるとは、順調なときには必要とされず、人が落ち目になって困っている時節にこそ、そっと入り込んで支えになる、それが頼もしさだ。そういう人こそ、必ず本物の曲者である」と。
解説
頼りになる者と「曲者(くせもの=一筋縄でいかない、骨のある人物)」は同じだ、という神右衛門の言葉です。頼りになるとは、順調なときには必要とされず、人が落ち目になり困っているときにこそ、そっと入り込んで支えてくれることだ、と説きます。そういう人こそ本物の曲者だ、と。背景には、平時の付き合いよりも逆境での振る舞いに人の真価が表れるという見方があります。現代でも、うまくいっているときに集まる人は多くても、苦境で手を差し伸べてくれる人は少ないものです。誰が本当の味方かは、順境ではなく逆境で見える。自分もそうありたい、という戒めと読めるでしょう。
この章句が説くこと
逆境の友真の頼もしさ人の真価苦境で支える曲者義理
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