葉隠 / 聞書第一
「人の心を見んと思はゞ煩へ。」と云ふことあり。日頃は心安く寄合ひ、病氣又は難儀の時大方にする者は腰拔なり。すべて人の不仕合せの時別けて立入り、見舞附屆仕るべきなり。恩を受け候人には、一生の内疎遠にあるまじきなり。斯樣の事にて、人の心入は見ゆるものなり。多分我が難儀の時は人を賴み、後には思ひも出さぬ人多し。
新字:「人の心を見んと思はゞ煩へ。」と云ふことあり。日頃は心安く寄合ひ、病気又は難儀の時大方にする者は腰抜なり。すべて人の不仕合せの時別けて立入り、見舞附届仕るべきなり。恩を受け候人には、一生の内疎遠にあるまじきなり。斯様の事にて、人の心入は見ゆるものなり。多分我が難儀の時は人を頼み、後には思ひも出さぬ人多し。
書き下し
「人の心を見んと思わば煩(わずら)へ。」と云うことあり。日頃は心安く寄合(よりあ)い、病気または難儀の時、大方(おおかた)にする者は腰抜けなり。すべて人の不仕合(ふしあわ)せの時、別(わ)けて立入(たちい)り、見舞い附け届け仕るべきなり。恩を受け候人には、一生の内、疎遠(そえん)にあるまじきなり。斯様(かよう)の事にて、人の心入(こころい)れは見ゆるものなり。多分、我が難儀の時は人を頼(たの)み、後には思いも出さぬ人多し。
現代語訳
「人の心を見たければ、病気になってみよ」という言葉がある。ふだんは気安く付き合っていても、相手が病気や困難に陥ったとき、いいかげんな対応で済ます者は腰抜けだ。総じて、人が不幸に見舞われたときこそ、進んで親身に立ち入り、見舞いや心配りをするべきだ。恩を受けた人には、生涯を通じて疎遠になってはならない。こうしたことで、人の心根は見えてくるものだ。たいていは、自分が困ったときは人を頼りながら、後になるとその恩を思い出しもしない者が多い。
解説
人の真価は相手が困ったときの態度に表れる、という教えです。順境で気安く付き合うのは誰でもできますが、相手が病気や苦境に陥ったときに親身になれるかどうかで、その人の心根が試されます。武士社会では恩義や信義が人間関係の要であり、恩を受けた相手に生涯報いる誠実さが重んじられました。葉隠は、いざという時に見舞いや心配りを惜しむ者を「腰抜け」と手厳しく評します。現代でも、相手が弱っているときこそ手を差し伸べられるかが、信頼を分けるでしょう。自分が困ったときだけ人を頼り、恩を忘れる身勝手さへの戒めでもあります。人付き合いの誠実さを、平時ではなく苦境で測るという視点は今も普遍的です。
この章句が説くこと
信義恩義誠実さ苦境での支え人を見る目見舞い
関連する章句
-
論語・里仁篇子曰わく、参よ、わが道は一以てこれを貫く。曾子曰く、唯。子出づ。門人問いて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。」
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや、仁を以てし、其の天下を失うや不仁を以てす。國の所廢興存亡する所以の者も、亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四體を保たず。今、死亡を惡みて、而も不仁を樂しむは、是れ猶ほ醉うことを惡みて、而も酒を強うるがごとし。」
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
-
菜根譚・前集故旧の交わりに遇わば、意気は愈々新たなるを要す。隠微の地に処らば、心迹は宜しく愈々顕なるべし。衰朽の輩を待つは、恩礼は当に愈々隆なるべし。
-
孟子・告子章句上告子曰く、「性は猶ほ杞柳のごときなり。義は猶ほ桮棬(ハイ・ケン)のごときなり。人の性を以て仁義を為すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を為るがごときなり。」孟子曰く、「子能く杞柳の性に順いて、以て桮棬を為るか。將た杞柳を戕賊して、而る後以て桮棬を為るか。如し將た杞柳を戕賊して、以て桮棬を為らば、則ち亦た將た人を戕賊して、以て仁義を為すか。天下の人を率いて、仁義に禍いする者は、必ず子の言なるかな。」