葉隠 / 聞書第一
目付役は、大意の心得なくば害になるべきなり。目付を仰付け置かれ候は、御國御治めなさるべきためにて候。殿樣御一人にて端々まで御見聞相叶はせられざるに付、殿樣の御身持、御家老の邪正、御仕置の善惡、世上の唱へ、下々の苦樂を分明に聞召され、御政道を御糺しなさるべきためなり。上に目を付くるが本意なり。然るに、下々の惡事を見出し聞出し、言上致す時、惡事たえず、却つて害になるなり。下々に直なる者稀なり。下々の惡事は御國家の害にはならぬものなり。又究役は、科人の言分立ちて、助かる樣にと思ひて、究むべき事なり。これも畢竟御爲なり。
新字:目付役は、大意の心得なくば害になるべきなり。目付を仰付け置かれ候は、御国御治めなさるべきためにて候。殿様御一人にて端々まで御見聞相叶はせられざるに付、殿様の御身持、御家老の邪正、御仕置の善悪、世上の唱へ、下々の苦楽を分明に聞召され、御政道を御糺しなさるべきためなり。上に目を付くるが本意なり。然るに、下々の悪事を見出し聞出し、言上致す時、悪事たえず、却つて害になるなり。下々に直なる者稀なり。下々の悪事は御国家の害にはならぬものなり。又究役は、科人の言分立ちて、助かる様にと思ひて、究むべき事なり。これも畢竟御為なり。
書き下し
目付役(めつけやく)は、大意(たいい)の心得なくば害になるべきなり。目付を仰付(おおせつ)け置かれ候は、御国(おくに)御治(おおさ)めなさるべきためにて候。殿様(とのさま)御一人にて端々(はしばし)まで御見聞(ごけんぶん)相叶(あいかな)わせられざるに付、殿様の御身持(おんみもち)、御家老の邪正(じゃせい)、御仕置(おしおき)の善悪、世上の唱(とな)え、下々(しもじも)の苦楽を分明(ぶんみょう)に聞召(きこしめ)され、御政道(ごせいどう)を御糺(おただ)しなさるべきためなり。上(かみ)に目を付くるが本意(ほんい)なり。然るに、下々の悪事を見出し聞き出し、言上(ごんじょう)致す時、悪事たえず、却(かえ)つて害になるなり。下々に直(すぐ)なる者稀(まれ)なり。下々の悪事は御国家(ごこっか)の害にはならぬものなり。また究役(きわめやく)は、科人(とがにん)の言分(いいぶん)立ちて、助かる様にと思いて、究むべき事なり。これも畢竟(ひっきょう)御為(おんため)なり。
現代語訳
目付役は、その職の大きな趣旨をわきまえていなければ、かえって害になる。目付を置かれるのは、国をよく治めるためである。殿はお一人で隅々まで見聞きなさることができないので、殿ご自身の振る舞い、家老の正・不正、政治の善悪、世間の評判、庶民の苦楽をはっきりと把握し、政道を正すために置かれるのだ。上に対して目を向けるのが本来の役目である。それなのに、下々の悪事を探し出しては報告すると、かえって悪事は絶えず、害になる。庶民に品行方正な者はまれだが、庶民の小さな悪事は国家の害にはならない。また取り調べ役は、罪人の言い分を立て、なるべく助かるようにと思って取り調べるべきだ。これも結局は主君・お国のためなのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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孟子・萬章章句下北宮錡問いて曰く、「周室の爵祿を班するや、之を如何。」孟子曰く、「其の詳は聞くを得可らざるなり。諸侯、其の己を害するを惡みて、皆其の籍を去れり。然り而して軻や、嘗て其の略を聞けり。天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子・男同じく一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等なり。天子の制は、地は方千里、公侯は皆方百里、伯は七十里、子・男は五十里、凡そ四等なり。五十里なること能わずして、天子に達せず、諸侯に附くを、附庸と曰う。天子の卿は、地を受くること侯に視(なぞらえる)え、大夫は地を受くること伯に視え、元士は地を受くること子・男に視う。大國は地、方百里。君は卿の祿を十にし、卿の祿は大夫を四にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と祿を同じくす。祿は以て其の耕に代うるに足るなり。次國は地、方七十里、君は卿の祿を十にし、卿の祿は大夫を三にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と祿を同じくし、祿は以て其の耕に代うるに足るなり。小國は地、方五十里、君は卿の祿を十にし、卿の祿は大夫を二にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、中士は下士に倍し、下士は庶人の官に在る者と祿を同じくし、祿は以て其の耕に代うるに足るなり。耕す者の獲る所は、一夫に百畝なり。百畝の糞、上農夫は九人を食い、上の次は八人を食い、中は七人を食い、中の次は六人を食い、下は五人を食う。庶人の官に在る者は、其の祿、是を以て差と為す。」
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『韓非子』詭使第四十五聖人の治道を為す所以の者三あり。一に曰く利、二に曰く威、三に曰く名。夫れ利は民を得る所以なり、威は令を行う所以なり、名は上下の同じく道る所なり。
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葉隠・聞書第十一一鼎、批判に、「御家は中腰にて持ち申し候。昔より歴々には器量有り兼ね候。また勝茂(かつしげ)公へ、舎人(とねり)、内匠(たくみ)、兵部(ひょうぶ)三人は、外様(とざま)にても、御居間にて御目見(おめみえ)仕り候由。」と申され候。
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五輪書・地の巻大将は大工の統領(とうりやう)として、天下のかねを弁へ、其の国のかねを糾し、其の家のかねを知る事、統領の道なり。大工の統領は、堂塔伽藍のすみかねを覚え、くうでん・ろうかくのさしづを知り、人々をつかひ、家々を取立つる事、大工の統領も武家の統領も同じ事なり。家を立つるに木配りをする事、直(すぐ)にして節もなく見つきのよきを表の柱とし、少し節有りとも直につよきをうちの柱とし、たとひかよわくとも節なき木の見ざまよきをば、敷居・鴨居・戸障子と夫々(それぞれ)に遣ひ、節有りとも歪みたりとも強き木をば、其の家の強み強みを見分けて、能(よ)く吟味して遣ふに於ては、其の家久しく崩れがたし。又材木のうちにしても、節多く歪みて弱きをば、あししろ共なし、後には薪共なすべきなり。統領に於て大工を遣ふ事、其の上中下を知り、或はとこまはり、或は戸障子、或は敷居・鴨居・天井以下、夫々に遣ひて、あしきは根太(ねだ)をはらせ、猶悪きにはくさびをけづらせ、人を見分けて遣へば、其のはか行きて手際よきものなり。果敢(はか)の行き手際よきを云ふ所、物毎をゆるさざる事、たいゆう、気の上中下を知る事、いさみを付くると云ふ事、むたいを知るといふ事、箇様(かやう)の事共、統領の心持に有る事なり。兵法の利かくのごとし。
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。