葉隠 / 聞書第一
火急の場にて、人に相談もならざる時、分別の仕樣は、四誓願に押當て見れば、其の儘わかるなり。立越えたる事は、いらぬなり。
新字:火急の場にて、人に相談もならざる時、分別の仕様は、四誓願に押当て見れば、其の儘わかるなり。立越えたる事は、いらぬなり。
書き下し
火急(かきゅう)の場にて、人に相談もならざる時、分別(ふんべつ)の仕様(しよう)は、四誓願(しせいがん)に押当(おしあ)てて見れば、その儘(まま)わかるなり。立越(たちこ)えたる事は、いらぬなり。
現代語訳
差し迫った急場で、人に相談もできないとき、判断の仕方は、四誓願に照らし合わせてみれば、そのまま答えが分かる。それ以上に度を越えた小難しい思案は要らない。
解説
急場での判断のよりどころを示した短い一節です。「四誓願」とは葉隠に説かれる武士の四つの誓い(武士道に後れを取らぬこと、主君の御用に立つこと、親に孝行すること、大慈悲を起こし人のためになること)を指します。人に相談する余裕のない切迫した場面では、この四つの基準に自分の考えを照らせば、おのずと進むべき道が見える、というのです。あれこれ度を越えて考え込む必要はない、と言い添えます。ふだんから確固たる判断軸を持っていれば、いざという時に迷わず決断できる、という実践的な知恵です。現代でも、自分の価値観や行動指針を平素から定めておくことで、緊急時に素早くぶれない判断ができるでしょう。判断の速さは、事前に据えた軸から生まれます。
この章句が説くこと
判断軸四誓願即断価値基準迷わない決断平素の備え
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『韓非子』説疑第四十四の以て其の臣を度る無き者は、必ず其の衆人の口を以て之を斷ず。衆の譽むる所は、従いて之を び、衆の非る所は、従いて之を憎む。
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呂氏春秋・有度①賢主は度有りて聽く。故に過たず。度有りて以て聽けば、則ち欺むく可からず、惶わしむ可からず、恐れしむ可からず、喜ばしむ可からず。以うに凡そ人の知は、其の已に知る所に昏からずして、其の未だ知らざる所に昏し。則ち人の欺き易く、惶わしむ可く、恐れしむ可く、喜ばしむ可きは、知ること審らかならざればなり。
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葉隠・聞書第一四誓願(しせいがん)の琢(みが)き上げは、武士道に於(お)いて後(おく)れを取るべからず、これも武勇を天下にあらわすべき事と覚悟すべし。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直(なお)りて諫(いさ)むべき事、これも武勇なり。孝は忠に附(つ)くなり。同じ物なり。人の為になるべき事、これをあらゆる人を御用に立つ者に仕(し)なすべしと心得べし。
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葉隠・聞書第一生附(うまれつき)によりて、即座(そくざ)に智慧の出づる人もあり、退(しりぞ)いて枕をわりて案じ出す人もあり。この本(もと)を極めて見るに、生附の高下(こうげ)はあれども、四誓願(しせいがん)に押当(おしあ)て、私(わたくし)なく案ずる時、不思議の智慧も出づるなり。皆人、物を深く案ずれば、遠き事も案じ出すように思えども、私を根にして案じ廻(まわ)らし、皆邪智(じゃち)の働きにて悪事となる事のみなり。愚人(ぐにん)の習い、私なくなること成りがたし。さりながら、事に臨んでまずその事を差置(さしお)き、胸に四誓願を押立(おした)て、私を除きて工夫をいたさば、大はずれあるべからず。
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葉隠・聞書第一大事の場を人に談合しては、無二無三(むにむさん)に踏み破りて、仕(し)てのかねば、埒(らち)明かぬものなり。兎角(とかく)気違いと極めて、身を捨つるに片附くれば済むなり。此の節、よく仕ようと思えば、早(はや)迷いが出来て、多分仕損ずるなり。多くは味方の人の、此方(こなた)の為を思ふ人より転ぜられ、引きくさかるゝ事あり。出家願(しゅっけねがい)の時の様なる事に候。