葉隠 / 聞書第一
常に無き事あれば怪事と云ひて、何事の前表かと云ひ扱ふは愚かなる事なり。帚星、旛雲、光物、六月の雪、師走の雷などは、五十年百年間に有る事なり。陰陽運行にて出現するなり。日の東より出で、西に入るも、常に無き事ならば、怪事と云ふべし。是に替る事なし。
書き下し
常に無き事あれば怪事(かいじ)と云いて、何事の前表(ぜんぴょう)かと云い扱うは愚かなる事なり。帚星(ほうきぼし)、旛雲(はたぐも)、光物(ひかりもの)、六月の雪、師走(しわす)の雷(かみなり)などは、五十年百年の間に有る事なり。陰陽(いんよう)運行にて出現するなり。日の東より出(い)でて、西に入るも、常に無き事ならば、怪事と云うべし。是(これ)に替(かわ)る事なし。
現代語訳
物事に惑わされるな。天変地異に心を乱すところから、いつしか悪い事も起こってくる。めったにない現象が起きると「怪しい前触れだ、何事の兆しか」と騒ぐのは愚かなことだ。彗星、旗のようにたなびく雲、空の発光現象、六月の雪、師走の雷などは、五十年百年に一度は起こることだ。すべて陰陽の運行によって現れる自然現象である。太陽が東から出て西に沈むのも、もしめったにないことなら「怪異」と呼ぶだろう。それと変わりはない。
解説
珍しい自然現象を不吉な前兆として恐れるな、と説く合理的な一節です。彗星や季節外れの雪や雷なども、五十年百年に一度は起こる自然の運行にすぎない、と冷静に見ます。日の出入りだって、もし滅多にないことなら怪異に見えるだろう、というたとえは説得力があります。迷信に惑わされる心そのものが、やがて悪い事態を呼び込む、という指摘が要点です。江戸期にあってこれだけ現象を自然の摂理として捉える見方は注目に値します。現代でも、不確かな噂や不吉な兆しに心を乱されて判断を誤ることは少なくありません。物事の理を落ち着いて見極め、迷いに振り回されない心を持て、という教えは今も生きているでしょう。
この章句が説くこと
迷信を退ける合理的思考自然の摂理心を乱さない前兆への冷静さ平常心
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葉隠・聞書第一また天変これある時、世上(せじょう)に必ず悪事出来(いでき)る事は、旛雲(はたぐも)を見ては何事ぞ有るべしと、人々我と心に怪事(かいじ)を生じ、悪事を待つ故に、その心より悪事出来(いでき)するなり。張良(ちょうりょう)が石公(せきこう)の書を伝えたると云い、義経(よしつね)は天狗(てんぐ)の伝を継ぐなどと云うは、兵法一流(へいほういちりゅう)建立(こんりゅう)の為なり。
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