葉隠 / 聞書第一
何事も願ひさへすれば願ひ出すもの、松茸も檜も願力。上方にて見候者共、御國内の山に出來候へかしと願ひ候が、昔は松茸と云ふ物なし。いか程も出來たり。以後は御國の山に檜出來申すべく候。これ我が未來記なり。諸人願ひ候故なり。然れば人々願ふ事有るべき事となり。
新字:何事も願ひさへすれば願ひ出すもの、松茸も檜も願力。上方にて見候者共、御国内の山に出来候へかしと願ひ候が、昔は松茸と云ふ物なし。いか程も出来たり。以後は御国の山に檜出来申すべく候。これ我が未来記なり。諸人願ひ候故なり。然れば人々願ふ事有るべき事となり。
書き下し
何事も願いさえすれば願い出(い)ずるもの、松茸(まつたけ)も檜(ひのき)も願力(がんりき)。上方(かみがた)にて見候(みそうろう)者共(ものども)、御国内(おくにない)の山に出来(いでき)候えかしと願い候が、昔は松茸と云う物なし。いか程も出来たり。以後は御国の山に檜(ひのき)出来(いでき)申すべく候。これ我が未来記(みらいき)なり。諸人(しょにん)願い候故(ゆえ)なり。然れば人々願う事あるべき事となり。
現代語訳
何事も願いさえすれば実現するもので、松茸も檜も願う力の賜物だ。上方でそれを見た者たちが、この国(佐賀)の山にも生えてほしいと願ったが、昔はこの国に松茸というものはなかった。それが今ではいくらでも生えるようになった。今後はこの国の山に檜も生えるようになるだろう。これは私の予言である。多くの人が願うからだ。だから、人はみな願いを持つべきなのである。
解説
強く願えば物事は実現する、という信念を松茸や檜になぞらえて語った一節です。上方の松茸を見た人々が「この国にも」と願い続けた結果、かつてなかった松茸が生えるようになった、だから檜もいずれ生えるだろう、という半ば予言めいた話です。素朴な因果の説明ではありますが、根底にあるのは「多くの人が心から願う方向へ物事は動いていく」という前向きな確信でしょう。武士としての志も、まず願い、望むところから始まるという含意が読み取れます。現代でいえば、目標を明確に描き強く念じることが実現の第一歩になる、という考えに近いでしょう。もっとも願いだけで叶うわけではなく、行動と結びついてこそ形になる、と補って受け止めたい教えです。
この章句が説くこと
願う力志目標を描く前向きな確信実現への一歩継続
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