葉隠 / 聞書第一
お抱者には心得ある事なり。御譜代の者は主君の御爲を思ふ器量を顯はし、御用に立ち、名を揚げ、子孫の爲になる事をするものなり。子孫にも多分此の風移るものなり。御譜代の者は、科は我が身に引受け、主君の御爲になり候樣にと思ふ所なり。
新字:お抱者には心得ある事なり。御譜代の者は主君の御為を思ふ器量を顕はし、御用に立ち、名を揚げ、子孫の為になる事をするものなり。子孫にも多分此の風移るものなり。御譜代の者は、科は我が身に引受け、主君の御為になり候様にと思ふ所なり。
書き下し
お抱(かか)え者には心得ある事なり。御譜代(ごふだい)の者は、主君の御為(おんため)を思う器量を顕(あらわ)し、御用に立ち、名を揚げ、子孫の為になる事をするものなり。子孫にも多分この風(ふう)移るものなり。御譜代の者は、科(とが)は我が身に引受け、主君の御為になり候様(そうろうよう)にと思う所なり。
現代語訳
新たに召し抱えられた者には、それなりの心得が要る。代々仕えてきた譜代の家来は、主君のためを思う器量を発揮し、御用に立ち、名を挙げ、子孫のためになる働きをするものだ。その気風は子孫にも受け継がれていく。譜代の者は、失敗の責めは自分が引き受け、あくまで主君のためになるように、と考えるのである。
解説
代々仕える譜代の家来と、新たに召し抱えられた者の心構えの違いを説いた一節です。譜代の者は、主君のためを思う器量が代々の家風として受け継がれ、手柄は主君に、失敗の責めは自分に引き受ける、という姿勢を自然に身につけている、と言います。新参者にはその蓄積がないぶん、特別な心得が求められるというわけです。組織への帰属意識や、責任を自ら負う覚悟が、長い年月をかけて培われるという観察は鋭いものです。現代の組織でも、生え抜きと中途入社では組織への向き合い方に違いが出ることがあります。手柄を譲り責めを負う姿勢は立場を問わず信頼を生みますが、それが文化として根づくには時間がかかる、という示唆として読めるでしょう。
この章句が説くこと
帰属意識責任を負う家風の継承忠誠手柄を譲る器量
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