葉隠 / 聞書第一
藝は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御當家の侍は、藝は身を亡すなり。何にても一藝これある者は藝者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはる〳〵樣に心掛くべき事なり。この當り心得べき事なり。
新字:芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡すなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはる〳〵様に心掛くべき事なり。この当り心得べき事なり。
書き下し
芸は身を助くると云ふは、他方(たほう)の侍の事なり。御当家(ごとうけ)の侍は、芸は身を亡(ほろ)ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者(げいしゃ)なり、侍にあらず。何某(なにがし)は侍なりといわるる様に心掛くべき事なり。この当たり心得べき事なり。
現代語訳
「芸は身を助ける」というが、当家の侍にとっては、芸はかえって身を滅ぼすものだ。それは他家の侍の話である。何であれ一芸に秀でた者は「芸者」であって、侍ではない。「あの者は侍だ」と言われるように心掛けるべきである。このあたりのことをよくわきまえるべきである。
解説
「芸は身を助ける」という通念に、あえて異を唱えた一節です。一芸に秀でることは、他家では役立っても、当家の侍にとっては本分を見失わせ身を滅ぼす、と言い切ります。何かの芸で名を成せば、その人は「芸者」であって「侍」ではなくなる、あくまで「あの者は侍だ」と言われるようであれ、というのです。ここには、専門技能に頼るのではなく、武士としての根本の生き方こそを立てよ、という『葉隠』一貫の主張があります。現代でも、特定のスキルや肩書きが評価される一方で、それだけの人になってしまう危うさは考えさせられます。技能は大切ですが、それに依存して人としての土台や志を見失わない。何をもって自分は立つのか、という自己規定を問い直させる言葉です。
この章句が説くこと
本分芸への依存を戒める自己規定専門技能の落とし穴何をもって立つか肩書きより生き方
関連する章句
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葉隠・聞書第一武芸に貪着(とんじゃく)して、弟子など取りて武士を立つると思う人多し。骨を折りて、ようやく芸者(げいしゃ)にならるるは惜しき事なり。芸能は事欠かぬ分に仕習(しなら)うて済む事なり。総じて多能なる者は下劣に見え、肝要の所が大方(おおかた)になるものなり。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一奉公人は一向(いっこう)に主人を大切に歎(なげ)くまでなり。これ最上の被官(ひかん)なり。御当家御代々(ごだいだい)、名誉の御家中(ごかちゅう)に生れ出(い)で、先祖代々御厚恩(ごこうおん)の儀を浅からぬ事に存じ奉(たてまつ)り、身心(しんしん)を擲(なげう)ち、一向に歎き奉るばかりなり。この上に智慧(ちえ)・芸能もありて相応相応(そうおうそうおう)の御用に立つは猶(なお)幸(さいわい)なり。何の御用にも立たず、不調法千万(せんばん)の者も、ひたすらに歎き奉る志さえあれば、御頼み切りの御被官なり。智慧・芸能ばかりを以て御用に立つは下段(げだん)なり。
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葉隠・聞書第一主君の味方として、善悪共に打任(うちまか)せ、身を擲(なげう)って居る御家来(ごけらい)は他事(たじ)なきものなり。久しく世間を見るに、首尾よき時は、智慧・分別・芸能を以て御用に立ち、ほのめき廻(まわ)る者多し。主人御隠居成され候か、御かくれ成され候時には、早(はや)後(あと)むき、出(い)づる日の方へ取入る者数多(あまた)見及び、思い出しても、きたなきなり。大身(たいしん)・小身(しょうしん)、智慧深き人、芸の有る人、我とそめきて御用に立たれども、主人の御為に命を捨つる段になりて、へろへろとなられ候。香(こう)ばしき事少しもなし。何の御益(おえき)にも立たぬ者が、件(くだん)の時は一人当千と成る事は、兼(かね)てより一命を捨て、主人と一味同心して居る故なり。