葉隠 / 聞書第一
武士の子供は育て樣あるべき事なり。先づ幼稚の時より勇氣を勸め、假初にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病氣これあるは一生の疵なり。親々不覺にして、雷鳴の時もおぢ氣を附け、暗がりなどには參らぬ樣に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを、申聞かせ候は不覺の事なり。又幼少にて强く叱り候へば、臆病になるなり。又わるくせ染み入らぬ樣にすべし。染み入りてよりは、意見しても直らぬなり。物言ひ、禮儀など、そろ〳〵と氣を附けさせ、欲義など知らざる樣に、その外育て樣にて、大體の生附ならば、よくなるべし。又女夫仲惡しき者の子は不孝なる由、尤も母親愚にして、鳥獸さへ生れ落ちてより、見馴れ、聞馴る〳〵事に移るものなり。母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔負をし、子と一味するゆゑ、その子は父に不和になるなり。女の淺ましき心にて、行末を賴りて、子と一味すると見えたり。
新字:武士の子供は育て様あるべき事なり。先づ幼稚の時より勇気を勧め、仮初にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病気これあるは一生の疵なり。親々不覺にして、雷鳴の時もおぢ気を附け、暗がりなどには参らぬ様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを、申聞かせ候は不覺の事なり。又幼少にて强く叱り候へば、臆病になるなり。又わるくせ染み入らぬ様にすべし。染み入りてよりは、意見しても直らぬなり。物言ひ、礼儀など、そろ〳〵と気を附けさせ、欲義など知らざる様に、その外育て様にて、大体の生附ならば、よくなるべし。又女夫仲悪しき者の子は不孝なる由、尤も母親愚にして、鳥獣さへ生れ落ちてより、見馴れ、聞馴る〳〵事に移るものなり。母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔負をし、子と一味するゆゑ、その子は父に不和になるなり。女の浅ましき心にて、行末を頼りて、子と一味すると見えたり。
書き下し
武士の子供は育て様(よう)あるべき事なり。先づ幼稚(ようち)の時より勇気を勧め、仮初(かりそめ)にもおどし、だます事などあるまじく候。幼少の時にても臆病気(おくびょうぎ)これあるは一生の疵(きず)なり。親々(おやおや)不覚(ふかく)にして、雷鳴の時もおじ気を付け、暗がりなどには参らぬ様に仕なし、泣き止ますべきとて、おそろしがる事などを、申し聞かせ候は不覚の事なり。又幼少にて強く叱り候えば、臆病になるなり。又悪癖(わるくせ)染み入らぬ様にすべし。染み入りてよりは、意見しても直らぬなり。物言い、礼儀など、そろそろと気を付けさせ、欲義(よくぎ)など知らざる様に、その外育て様にて、大体の生い附きならば、よくなるべし。又夫婦(めおと)仲悪しき者の子は不孝なる由、尤も母親愚(おろ)かにして、鳥獣(ちょうじゅう)さえ生まれ落ちてより、見馴れ、聞き馴るる事に移るものなり。母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔屓(ひいき)をし、子と一味(いちみ)するゆえ、その子は父に不和(ふわ)になるなり。女の浅ましき心にて、行末(ゆくすえ)を頼りて、子と一味すると見えたり。
現代語訳
武士の子には、しかるべき育て方がある。まず幼いうちから勇気を励まし、かりそめにも脅したり、だましたりしてはならない。幼い時であっても臆病な気質がつくのは一生の疵となる。親が心得違いをして、雷鳴のときも怖がらせ、暗がりへ行かせないようにし、泣き止まそうとして恐ろしい話を聞かせるのは、よくないことだ。また幼いうちに強く叱れば、臆病になる。悪い癖が染み込まないようにすべきで、いったん染み込んでからは、意見しても直らない。物言いや礼儀などは少しずつ気をつけさせ、欲深さなどを覚えないようにし、その他の育て方も心得ていれば、生まれつきが並程度でも良くなるものだ。また夫婦仲の悪い家の子は親不孝になるという。もっとも母親が愚かだと、鳥や獣でさえ生まれてから見馴れ聞き馴れたものに感化されるように、子も染まる。母親はわけもなく子を甘やかし、父親が意見すれば子の肩を持って子と結託するので、その子は父と不和になる。女の浅はかな心で、老後を子に頼ろうとして、子とぐるになるものと見える。