葉隠 / 聞書第一
二六時中氣をぬかさず、不斷主君の御前、公界に罷在る時の樣にするものなり。休息の間もうかうかとなりては、其の分公界にて、うかと見ゆるなり。此の氣の位とれある事なり。
新字:二六時中気をぬかさず、不断主君の御前、公界に罷在る時の様にするものなり。休息の間もうかうかとなりては、其の分公界にて、うかと見ゆるなり。此の気の位とれある事なり。
書き下し
二六時中(にろくじちゅう)気をぬかさず、不断(ふだん)主君の御前(ごぜん)、公界(くがい)に罷り在る時の様にするものなり。休息の間(あいだ)もうかうかとなりては、その分公界にて、うかと見ゆるなり。この気の位(くらい)とれある事なり。
現代語訳
四六時中、気を抜かず、いつも主君の御前や公の場に出ているときと同じように振る舞うものだ。くつろいでいる間にぼんやりと気を抜いてしまえば、その分だけ、いざ公の場に出たときにも、ぼんやりした様子が表に出てしまう。この気構えの高さ・張りを、常に保っておくべきことである。
解説
「二六時中(=四六時中)」気を抜くな、という気構えを説いた一条です。人前や公の場でだけ緊張し、私的な休息の場でだらけていると、そのゆるみは必ずいざという公の場面にも滲み出る、と見抜きます。ふだんの心の張りと、表に現れる姿とは地続きだという洞察です。だからこそ、くつろぐ時も含めて常に一定の気位を保てというのです。とはいえこれは休むなという意味ではなく、心の芯を緩めきるなという教えでしょう。現代でも、人が見ていない時の過ごし方が、本番での立ち居振る舞いや集中力にそのまま表れる場面は多くあります。裏表なく張りを保つ姿勢は、質の高い仕事の土台になるといえるでしょう。
この章句が説くこと
常在戦場気を抜かない裏表のなさ日常の張り私と公の地続き集中の持続
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