葉隠 / 聞書第一
一鼎の話に、よき手本を似せて精を出し習へば、惡筆も大體の手跡になるなり。今もよき奉公人を手本にしたらば、大體には成るべし。今時よき奉公人の手本がなきなり。夫れゆゑ、手本作りて習ひたるがよし。作り樣は、物言ひは何某、身持正しきは何某、律儀なる事は何某、一切つて胸早くすわる事は何某、勇氣は何某と、諸人の中にて第一よき所、一事宛持ちたる人の其のよき事計りを選び立つれば、手本が出來るなり。萬づの藝能も師匠のよき所は及ばず、惡しき曲を弟子は請取りて似するもの計りにて、何の役にも立たざるなり。時宜よき者に不律儀なる者あり。これを似するに多分時宜は差し置きて、不律儀を似する計りなり。よき所に心附けば、何事もよき手本師匠となる事に候由。
新字:一鼎の話に、よき手本を似せて精を出し習へば、悪筆も大体の手跡になるなり。今もよき奉公人を手本にしたらば、大体には成るべし。今時よき奉公人の手本がなきなり。夫れゆゑ、手本作りて習ひたるがよし。作り様は、物言ひは何某、身持正しきは何某、律儀なる事は何某、一切つて胸早くすわる事は何某、勇気は何某と、諸人の中にて第一よき所、一事宛持ちたる人の其のよき事計りを選び立つれば、手本が出来るなり。万づの芸能も師匠のよき所は及ばず、悪しき曲を弟子は請取りて似するもの計りにて、何の役にも立たざるなり。時宜よき者に不律儀なる者あり。これを似するに多分時宜は差し置きて、不律儀を似する計りなり。よき所に心附けば、何事もよき手本師匠となる事に候由。
書き下し
一鼎(いってい)の話に、よき手本を似せて精を出し習えば、悪筆も大体の手跡(しゅせき)になるなり。今もよき奉公人を手本にしたらば、大体には成るべし。今時(いまどき)よき奉公人の手本がなきなり。それゆえ、手本作りて習いたるがよし。作り様は、物言いは何某、身持ち正しきは何某、律儀なる事は何某、一切って胸早くすわる事は何某、勇気は何某と、諸人の中にて第一よき所、一事ずつ持ちたる人のそのよき事ばかりを選び立つれば、手本が出来るなり。よろずの芸能も師匠のよき所は及ばず、悪しき曲(くせ)を弟子は請け取りて似するものばかりにて、何の役にも立たざるなり。時宜(じぎ)よき者に不律儀なる者あり。これを似するに多分時宜は差し置きて、不律儀を似するばかりなり。よき所に心附けば、何事もよき手本師匠となる事に候よし。
現代語訳
石田一鼎の話に――よい手本を真似て精を出して習えば、字の下手な者でも一通りの筆跡になる。同じように、今もよい奉公人を手本にすれば、まずは一人前になれる。ところが今の世には、手本とすべきよい奉公人がいない。そこで、自分で手本を作り上げて習うのがよい。作り方はこうだ。物言いはあの人、身持ちの正しさはあの人、律儀さはあの人、思い切りよく肝の据わっていることはあの人、勇気はあの人、というように、多くの人の中でそれぞれ一番よいところ・一つの美点を持った人を選び、そのよい点だけを寄せ集めれば、理想の手本ができあがる。どんな芸能でも、師匠のよいところにはなかなか及ばず、弟子はかえって悪い癖ばかりを受け継いで真似るもので、それでは何の役にも立たない。応対のうまい者に限って律儀さに欠けることがあり、それを真似ると、肝心の応対のうまさはそっちのけで、律儀でない点ばかりを真似てしまう。よいところに目を向けさえすれば、どんなものでもよい手本・よい師匠となるのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第二奉公人には良き手本が入る事に候えども、律儀(りちぎ)なる事は村岡五兵衛(むらおかごへえ)にて候。物を書き調べ候事は原田殿(はらだどの)以後に見及ばず候。さても人は無きものなり。あれこれ寄せても昔の一人前にもならず候。尤(もっと)も昔もすくなきなるべし。若き衆は少し精出し候わば、上手取る時節なるに、油断ぞ、となり。
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葉隠・聞書第一物を書くにも、紙と筆と思ひ合ふ様になるが、上(あが)りたるなりと、一鼎(いってい)申され候。はなればなれになりたがるなり。
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葉隠・聞書第一手跡(しゅせき)の行儀正しく、疎略(そりゃく)なきより上はあるまじけれども、その分にては、堅(かた)くれ賤(いや)しく見ゆるなり。この上に、格(かく)を離(はな)れたる姿あるべし。諸事(しょじ)にこの理(ことわり)あるべし。
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葉隠・聞書第一風体(ふうてい)の修行は、不断(ふだん)鏡を見て直したるがよし。これは秘蔵(ひぞう)の事なり。諸人(しょにん)鏡をよく見ぬゆえ、風体わろし。口上(こうじょう)の稽古は宿元(やどもと)にての物言いにて直す事なり。文段(ぶんだん)の修行は一行(いちぎょう)の手紙も案文(あんもん)する迄なり。右いずれも閑(しず)かに強みあるがよきなり。又手紙は向様(むこうさま)にて掛物(かけもの)になると思えと、梁山(りょうざん)上方(かみがた)にて承り候由。
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葉隠・聞書第一御家中(ごかちゅう)、よき御被官(ごひかん)出来候様(できそうろうよう)に、人を仕立(した)て候事(そうろうこと)忠節なり。我が持分(もちぶん)を人を以て御用に立つるは本望(ほんもう)の事なり。
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葉隠・聞書第二何某(なにがし)へ意見申し候は、「身持心入(みもちこころいれ)、今時の人に勝れ申され、結構の事に候。此の上、芸にて立ち上りたるところに眼を着けられ候へかし。今の分にては惜しき事に候。若し名人に成り御用に立ち候時、先祖以来の侍を立て通し、芸者にならるる事に候。御国の侍は、芸は身を亡すと、兼々(かねがね)見立て候は此の処にて候。御無人の時節などにも召し出されず候ても、一分(いちぶん)の覚悟は、御用に立ちたる事なり。多分大事の時は、潜(ひそ)かに相談きたる者は、人が捨て置かぬものなり。それに指南申すは、尚々(なおなお)忠義なり。他事なきものなる故、少し立ち上りたる者は、器量響く仕様もあり、何和尚(なにおしょう)と予て話しの由。彼の和尚は、皆人畏れて居るなり。明日にても、何事ぞ申され候を打ち崩し、せかせ候て上手(じょうず)の理にて云い伏せ、理詰(りづめ)仕らるべく候。諸人肝を潰し、云い伝え云い伝えて、頓(やが)て沙汰するものなり。手の理が得方(えかた)にて、鳴り廻るところを覚えたる人なり。少し精を入るれば慥(たし)かに成るものなり。「それは稽古にて成るべきや。」と申され候故、「易きことなり、当念に気を抜かさず、正念に着けられ候へかし。」と申し候。又十日の内に、国中に器量響くべきなり、上手の理を見出すまでなり。大犬をかみ伏せねば、響きなきものなり。大業(たいぎょう)がな申し候へば、「誠に利発なる和尚。」と申され候故、「左様に阻み申され候故、大業がならず、何のかうばしき事あるべきや。」誰にても、そくもやるまじきとかからねば、ほと手は延びず。又義経の勇智仁とのたまいしも、面白く候。今が世にも、四十歳より内は勇智仁なり。埋れ居り候衆は四十過ぎても勇智仁にてなくば響きあるまじく候。彼の和尚など、たった勇智仁を以て鳴り廻り、名高く聞え候。又殿様の御上(おんうえ)、御家老、年寄衆などの上は、たとえ上手の理を見附け候ても、人に批判をせぬものなり。聞えぬ事にても御尤もと理を附けて、諸人思い附く様に、褒め崇めて置くが忠義なり。人の不審いたす様に仕成(しな)すは、勿体(もったい)なきことなり。人の心は、移り易きものにて、一人褒むれば早やそれにかたぶき、一人譏(そし)れば悪ろく思うものなり。又どこへか有り附き候様にと何某申され候由、先年承り候。左様の時は日来(ひごろ)の懇意愛想も尽きて、したたかに申したるがよく候事を、破れぬ様に結構づくに取合い候へば、うさんに思わるるものなり。斯様の事に味方の人より転ぜられ、引き腐らかさるる事あるものなり。飢え死んでも御家来の内なり。殿立て通すことは仏神の勧めにも見向も仕らざる合黙(ごうもく)にて、朽ち果て申さるべし。」と申し候由。