葉隠 / 聞書第一
「人として肝要に心がけ、修行すべき事は何事にて候や。」と問はれ候時、何と答へと見ゆるなり。活きた面は正念の時なり。萬事をなす内に、胸に一つ出來る物あるなり。これが君に對して忠、親には孝、武には勇、その外萬事につかはるゝものなり。これを見附くる事も成りがたし。見附けて不斷持つ事又成りがたし。只今の當念より外はこれなきなり。
新字:「人として肝要に心がけ、修行すべき事は何事にて候や。」と問はれ候時、何と答へと見ゆるなり。活きた面は正念の時なり。万事をなす内に、胸に一つ出来る物あるなり。これが君に対して忠、親には孝、武には勇、その外万事につかはるゝものなり。これを見附くる事も成りがたし。見附けて不断持つ事又成りがたし。只今の当念より外はこれなきなり。
書き下し
「人として肝要に心がけ、修行すべき事は何事にて候や」と問われ候時、何と答えと見ゆるなり。活(い)きた面(つら)は正念(しょうねん)の時なり。万事をなすうちに、胸に一つ出来る物あるなり。これが君に対して忠、親には孝、武には勇、その外万事につかわるるものなり。これを見附くる事も成りがたし。見附けて不断(ふだん)持つ事また成りがたし。ただ今の当念(とうねん)より外はこれなきなり。
現代語訳
「人として何より心がけ、修行すべきことは何か」と問われたとき、さて何と答えるべきか、と見きわめようとする。生き生きとした真の面目が現れるのは、心が正念(一つに定まった今の一念)にある時である。あらゆることを行うそのただ中で、胸に一つの確かなものが立ち上がってくる。それが主君に対しては忠、親に対しては孝、武においては勇となり、その他あらゆる場面で働くのだ。これを見つけ出すこと自体が難しい。見つけてなお、それを常に保ち続けることもまた難しい。頼れるのは、ただ今この一念のほかにはない。
解説
人が第一に修行すべきものは何か、という問いに答えた一条です。答えは「正念」――今この一瞬に心を一つに定めた、生き生きとした一念にあると説きます。何事かを為すただ中で胸に立ち上がる確かなものが、場面に応じて忠にも孝にも勇にもなる。だからそれは徳目ごとに別々にあるのではなく、根は一つだというのです。しかしそれを見出すのも難しく、見出して保ち続けるのはさらに難しい。禅にも通じる「今この一念」を重んじる思想です。現代の言葉でいえば、目の前の一事に全身で集中する状態が、あらゆる正しい振る舞いの源になる、ということでしょう。
この章句が説くこと
正念今この一念集中忠孝勇の根は一つ保ち続ける難しさ一事三昧
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