葉隠 / 聞書第一
曲者志田吉之助の戲れ、「生きたがまし」を聞き誤るな。武士道功者書に、功者の武士は、せざる武邊に名を取る道ありと書かれ候。後々の誤、これあるべく候。「も」の字二字加へて見よ、生きたがましと申し候。由。又志田は曲者にて、戲れに申したる事にて候を、生立者共聞き誤り、武士の疵に成る事を申すべくやと存じ候。此の追句に、喰はうか喰ふまいかと思ふものは喰はぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死んだがよしと仕り候。
新字:曲者志田吉之助の戯れ、「生きたがまし」を聞き誤るな。武士道功者書に、功者の武士は、せざる武辺に名を取る道ありと書かれ候。後々の誤、これあるべく候。「も」の字二字加へて見よ、生きたがましと申し候。由。又志田は曲者にて、戯れに申したる事にて候を、生立者共聞き誤り、武士の疵に成る事を申すべくやと存じ候。此の追句に、喰はうか喰ふまいかと思ふものは喰はぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死んだがよしと仕り候。
書き下し
曲者(くせもの)志田吉之助(しだきちのすけ)の戯(たわむ)れ、「生きたがまし」を聞き誤(あやま)るな。武士道功者書(ぶしどうこうしゃがき)に、功者(こうしゃ)の武士は、せざる武辺(ぶへん)に名を取る道ありと書かれ候。後々(のちのち)の誤り、これあるべく候。「も」の字二字(にじ)加(くわ)へて見よ、生きたがましと申し候。由(よし)。又(また)志田は曲者にて、戯れに申したる事にて候を、生立(おいたち)者共(ものども)聞き誤り、武士の疵(きず)になる事を申すべくやと存じ候。この追句(ついく)に、喰(く)はうか喰ふまいかと思ふものは喰はぬがよし、死なうか生きようかと思ふ時は死んだがよしと仕り候。
現代語訳
食わせ者の志田吉之助の冗談、「生きたほうがましだ」という言葉を聞き違えるな。『武士道功者書』には、腕利きの武士には、あえて手柄を立てないことでかえって名を取る道もある、と書かれている。これは後々、誤解を招きかねない。「も」の字を二つ加えて(「せざるも武辺、するも武辺」というように)読んでみよ、という意味で、「生きたほうがまし」と言ったのだ。そもそも志田は食わせ者で、冗談で言ったにすぎないのを、若い者たちが真に受けて聞き違え、武士の傷(恥)になるようなことを言い出すのではないかと心配だ。この言葉の続きに、「食おうか食うまいか迷うものは食わないほうがよい、死のうか生きようか迷うときは死んだほうがよい」と付け加えておいた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
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葉隠・聞書第一何某申し候は、「しほがれ浪人などと云ふは難儀千萬此の上なき樣に皆人思うて、其の期には殊の外しほがれ草臥る〳〵事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。今一度浪人仕度し。」と云ふ。尤もの事なり。死の道も、平生に死習うては、心安く死ぬべき事なり。奉公人の打留は浪人切腹に極りたると、兼ねて覺悟すべきなり。災難は前方了簡したる程には無きものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。
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論語 公冶長篇子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
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論語 憲問篇子曰:士而懷居,不足以為士矣。
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葉隠・聞書第一打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穗義士の敵討は延びゝ。打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
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葉隠・聞書第一古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。