葉隠 / 聞書第一
或劍術者の老後に申し候は、「一生の間修行に次第がこれあるなり。下の位は修行すれども物にならず、我も下手と思ひ、人も下手と思ふなり。この分にては用に立たざるなり。中の位は未だ用には立たざれども、我が不足目にかゝり、人の不足も見ゆるものなり。上の位は我が物に仕成して自慢出來、人の褒むるを悦び、人の至らざるをなげくなり。これは用に立つなり。人も上手と見るなり。大方是迄なり。この上に、一段立ち越え、道の絶えたる位あるなり。その道に深く入れば、終に果てもなき事を見附くる故、是迄と思ふ事ならず。我に不足ある事を實に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑下の心もとれなくして果す道を知りたり。」と申され候由。昨日よりは上手になりして、今日よりは上手になりして一生日々仕上ぐる事なり。これも果てはなきといふ事なりと。
新字:或剣術者の老後に申し候は、「一生の間修行に次第がこれあるなり。下の位は修行すれども物にならず、我も下手と思ひ、人も下手と思ふなり。この分にては用に立たざるなり。中の位は未だ用には立たざれども、我が不足目にかゝり、人の不足も見ゆるものなり。上の位は我が物に仕成して自慢出来、人の褒むるを悦び、人の至らざるをなげくなり。これは用に立つなり。人も上手と見るなり。大方是迄なり。この上に、一段立ち越え、道の絶えたる位あるなり。その道に深く入れば、終に果てもなき事を見附くる故、是迄と思ふ事ならず。我に不足ある事を実に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑下の心もとれなくして果す道を知りたり。」と申され候由。昨日よりは上手になりして、今日よりは上手になりして一生日々仕上ぐる事なり。これも果てはなきといふ事なりと。
書き下し
或(ある)剣術者(けんじゅつしゃ)の老後(ろうご)に申し候は、「一生(いっしょう)の間(あいだ)修行(しゅぎょう)に次第(しだい)がこれあるなり。下(げ)の位(くらい)は修行すれども物にならず、我も下手(へた)と思ひ、人も下手と思ふなり。この分(ぶん)にては用に立たざるなり。中(ちゅう)の位はいまだ用には立たざれども、我が不足(ふそく)目にかかり、人の不足も見ゆるものなり。上(じょう)の位は我が物に仕成(しな)して自慢(じまん)出来(でき)、人の褒(ほ)むるを悦(よろこ)び、人の至らざるをなげくなり。これは用に立つなり。人も上手(じょうず)と見るなり。おおかたこれまでなり。この上に、一段(いちだん)立ち越え、道の絶(た)えたる位あるなり。その道に深く入れば、つひに果(は)てもなき事を見附くるゆゑ、これまでと思ふ事ならず。我に不足ある事を実(じつ)に知りて、一生成就(じょうじゅ)の念(ねん)これなく、自慢の念もなく、卑下(ひげ)の心もとれなくして果(はた)す道を知りたり」と申され候由。昨日よりは上手になりして、今日よりは上手になりして一生日々(ひび)仕(し)上ぐる事なり。これも果てはなきといふ事なりと。
現代語訳
ある剣術者が晩年に語ったことには、「一生の修行には段階がある。下の位では、修行しても物にならず、自分も下手だと思い、人も下手だと見る。これでは役に立たない。中の位はまだ役には立たないが、自分の足りなさが目につき、人の足りなさも見えるようになる。上の位は、技を自分のものにして自慢が生まれ、人にほめられれば喜び、人の至らなさを嘆く。これは役に立ち、人も上手だと見る。たいていの者はここまでだ。だがこの上に、もう一段抜け出た、道の果てが見えない位がある。その道に深く分け入ると、ついに終わりがないと気づくので、『もうここまで』とは思えなくなる。自分にまだ足りないところがあると本当に知り、一生かかっても成就したという思いはなく、自慢もなく、卑下もなく、務め果たしていく道を知ったのだ」と。昨日より今日、今日より明日と上達し、一生かけて日々仕上げていくのだ。これもまた、果てがないということである。