葉隠 / 聞書第一
何某の主人、初知入の供に参り候由。それに付、「今度の覺悟にて、在所にて酒『あたり申す』と申して二三度捨て〳〵見せ申すべく候。それも、禁酒と申しては、在所にて酒だらけたるべく候間、酒を仕切り申すべしと存じ候。それも、禁酒と申し候ては、酒の上にては、人も強ひ物を申すまじくと存じ候。又隨分禮を腰の痛む程仕り、人の云ひ掛けざる時に、一言も物を申すまじくと存じ候。」と語り申され候。それ故、「其方は虚勞下地が前方には見替へておとなしくなりたりと、云はる〻程にいたされよ。先の事を前方に分別する所が人の上をする基なり。」と申され候由。
新字:何某の主人、初知入の供に参り候由。それに付、「今度の覺悟にて、在所にて酒『あたり申す』と申して二三度捨て〳〵見せ申すべく候。それも、禁酒と申しては、在所にて酒だらけたるべく候間、酒を仕切り申すべしと存じ候。それも、禁酒と申し候ては、酒の上にては、人も強ひ物を申すまじくと存じ候。又随分礼を腰の痛む程仕り、人の云ひ掛けざる時に、一言も物を申すまじくと存じ候。」と語り申され候。それ故、「其方は虚労下地が前方には見替へておとなしくなりたりと、云はる〻程にいたされよ。先の事を前方に分別する所が人の上をする基なり。」と申され候由。
書き下し
何某(なにがし)の主人、初知入(はつちいり)の供(とも)に参り候由。それに付いて、「今度の覚悟にて、在所(ざいしょ)にて酒『あたり申す』と申して、二三度捨て捨て見せ申すべく候。それも、禁酒と申しては、在所にて酒だらけたるべく候間(あいだ)、酒を仕切り申すべしと存じ候。それも、禁酒と申し候ては、酒の上にては、人も強(し)い物を申すまじくと存じ候。又、随分(ずいぶん)礼を腰の痛む程仕り、人の言い掛けざる時に、一言も物を申すまじくと存じ候」と語り申され候。それ故、「其方(そなた)は虚労下地(きょろうしたじ)が前方(ぜんぽう)には見替(みか)えておとなしくなりたりと、言わるるほどにいたされよ。先の事を前方に分別する所が人の上をする基(もと)なり」と申され候由。
現代語訳
某(なにがし)の主人が、初めての知行地入りのお供に参ったという。それについてこの者は、「このたびの覚悟として、在所では酒に『あたった(悪酔いした)』と言って、二、三度わざと酒を捨てて見せておこうと思います。禁酒だと言えば、在所では酒があふれているので付き合いきれませんから、酒はほどほどに切り上げるつもりです。それも禁酒と言ってしまえば角が立つので、そう言わずにおけば、酒の席で人も無理強いはしないでしょう。また、礼儀は腰が痛くなるほど念入りに尽くし、人から話しかけられないうちは、こちらから一言も余計なことは言うまいと思います」と語った。そこで(それを聞いた人が)、「あなたは、以前は虚弱で気弱そうだったのが、すっかり見違えて落ち着いた人物になったと、周りから言われるほどにやりなさい。先々のことを前もって考えておくことこそ、人の上に立つ者の基本である」と言われたという。