葉隠 / 聞書第一
何和尚は近代の出來物なり。寛大なる事量なし。それゆゑ大寺よく治りたり。頃日も、「話にか〳〵らぬ病身にて、大寺を預り能く勤むべしと思ひたらば、仕損じこれあるべく候。成る分と存じ候ゆゑ、氣色勝れざる時は、名代にて諸事濟し、何卒大迦れの無き様にと心掛くるばかりなり。」と申され候。先々住は稠しく過ぎて大衆あき申し候。先住は任せ過ぎて不締りなる所あり、今の和尚に成りて是非の沙汰なく、大衆能く治り申し候。此の境を思ふに、危に入り細に入り、よく事々を知りて、偖打任せて、構はずに役にさばかせて、若し尋ねらる〻時は、聞き事なく差圖致さる〻故能く治り申し候と思はる〻なり。去頃、何長老小見解などにて口を利き候が、片輪に成り申し候由。彼是よき所多きなり。
新字:何和尚は近代の出来物なり。寛大なる事量なし。それゆゑ大寺よく治りたり。頃日も、「話にか〳〵らぬ病身にて、大寺を預り能く勤むべしと思ひたらば、仕損じこれあるべく候。成る分と存じ候ゆゑ、気色勝れざる時は、名代にて諸事済し、何卒大迦れの無き様にと心掛くるばかりなり。」と申され候。先々住は稠しく過ぎて大衆あき申し候。先住は任せ過ぎて不締りなる所あり、今の和尚に成りて是非の沙汰なく、大衆能く治り申し候。此の境を思ふに、危に入り細に入り、よく事々を知りて、偖打任せて、構はずに役にさばかせて、若し尋ねらる〻時は、聞き事なく差図致さる〻故能く治り申し候と思はる〻なり。去頃、何長老小見解などにて口を利き候が、片輪に成り申し候由。彼是よき所多きなり。
書き下し
何(なに)〔某(がし)〕和尚は近代の出来物(できもの)である。寛大なることは量(はか)りがない。それゆえ大寺(だいじ)がよく治まった。頃日(けいじつ)も、「話にもかからぬ病身にて、大寺を預かってよく勤めようと思ったならば、仕損じがあるであろう。成る分(ぶん)と存じ候ゆえ、気色(きしょく)すぐれざる時は、名代(みょうだい)にて諸事を済まし、何卒(なにとぞ)大きな抜かりの無い様にと心掛けるばかりである」と申され候。先々住(せんせんじゅう)はきびしく過ぎて大衆(だいしゅ)が飽き申した。先住は任せ過ぎて不締(ふじま)りなる所があり、今の和尚に成って是非の沙汰(さた)なく、大衆がよく治まり申した。この境(さかい)を思うに、危(き)に入り細(さい)に入り、よく事々(ことごと)を知って、さて打ち任せて、構わずに役にさばかせて、もし尋ねらるる時は、聞き違えなく差図(さしず)いたさるる故によく治まり申すと思わるるなり。去(さ)る頃、何(なに)長老が小見解(しょうけんげ)などにて口を利き候が、片輪(かたわ)に成り申し候由。彼是(かれこれ)よき所が多きなり。
現代語訳
某(なにがし)和尚は近ごろまれな傑物である。その寛大さははかり知れない。だからこそ大寺がよく治まった。先ごろも、「話にもならないほどの病身の身で、大寺を預かって立派に勤めようと思えば、必ず失敗が出るだろう。できる範囲でと心得ているので、体調のすぐれないときは代役に万事を任せ、ただ大きな手抜かりだけはないようにと心掛けるばかりだ」と言われた。先々代の住職は厳しすぎて僧たちが嫌気がさし、先代は任せすぎてしまりがなかった。今の和尚になってからは、あれこれの是非をやかましく言わず、僧たちがよく治まっている。この加減を思うに、細かいところまでよく事情を知り尽くしたうえで、あとは思い切って任せ、口出しせず各自の役にさばかせ、もし尋ねられたときには聞き違いなく的確に指図する――だからこそよく治まるのだと思われる。先ごろ、ある長老が浅い見識で口を出したところ、かえって物事を損なってしまったという。この和尚には、あれこれ見習うべきよい点が多い。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
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『韓非子』難一第三十六身死して蟲流れ戸を出でて葬られざるは、是れ臣重ければなり。臣重きの実は、主を擅にするなり。主を擅にするの臣有らば、則ち君令下に究まらず、臣情上に通ぜず。
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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三略・中略軍勢に曰く、軍を出だし師を行るは、将は自ら専らにするに在り。進退内より御せば、則ち功成り難し。
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史記 張釈之馮唐列伝吾独り廉頗・李牧を得て時に吾が将と為さざるか。吾豈に匈奴を憂へんや」と。唐曰く、「主臣。陛下廉頗・李牧を得と雖も、用ふること能はざるなり」と。上怒り、起ちて禁中に入る。良久しくして、唐を召して譲(せ)めて曰く、「公柰何ぞ衆にて我を辱むる。独り間処無からんや」と。唐謝して曰く、「鄙人忌諱を知らず」と。是の時に当たり、匈奴新たに大いに朝那に入り、北地の都尉卬を殺す。上胡寇を以て意と為し、乃ち卒に復た唐に問ひて曰く、「公何を以て吾が廉頗・李牧を用ふること能はざるを知るや」と。唐対へて曰く、「臣聞く、上古の王者の将を遣はすや、跪きて轂を推し、曰く閫(こん)以内は寡人之を制し、閫以外は将軍之を制すと。軍功爵賞は皆外に決し、帰りて之を奏す。此れ虚言に非ざるなり。臣の大父言ふ、李牧、趙の将と為りて辺に居り、軍市の租は皆自ら用ひて士を饗し、賞賜は外に決し、中より擾されずと。委任して成功を責む。故に李牧乃ち其の智能を尽くすを得たり。選車千三百乗、彀騎万三千、百金の士十万を遣はし、是を以て北のかた単于を逐ひ、東胡を破り、澹林を滅ぼし、西のかた彊秦を抑へ、南のかた韓・魏を支ふ。是の時に当たりて、趙幾(ほと)んど霸たらんとす。其の後会(たまたま)趙王遷立つ。其の母は倡なり。王遷立ち、乃ち郭開の讒を用ひ、卒に李牧を誅し、顔聚をして之に代はらしむ。是を以て兵破れ士北(に)げ、秦の禽滅する所と為る。今臣竊かに聞く、魏尚雲中の守と為り、其の軍市の租は尽く以て士卒を饗し、[出]私養の銭もて、五日に一たび牛を椎(う)ち、賓客・軍吏・舎人を饗す。是を以て匈奴遠く避け、雲中の塞に近づかず。虜曾て一たび入る。尚、車騎を率ゐて之を撃ち、殺す所其れ衆し。夫れ士卒は尽く家人の子にして、田中より起ちて軍に従ふ。安くんぞ尺籍・伍符を知らん。終日力戦し、首を斬り虜を捕へ、功を莫府に上るに、一言相応ぜざれば、文吏法を以て之を縄す。其の賞行はれずして吏の法を奉ずるは必ず用ひらる。
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説苑・尊賢斉の桓公、管仲をして国を治めしむ。管仲対えて曰く、「賤は貴に臨む能わず」と。桓公以て上卿と為すも国治まらず。桓公曰く、「何の故ぞ」と。管仲対えて曰く、「貧は富を使う能わず」と。桓公之に斉国の市租一年を賜うも国治まらず。桓公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「疏は親を制する能わず」と。桓公立てて仲父と為す。斉国大いに安んじ、遂に天下に覇たり。孔子曰く、「管仲の賢も、此の三権を得ざれば、亦其の君をして南面して覇たらしむる能わざりき」と。

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