葉隠 / 聞書第一
氣前を見せ伊達する心でないと、時宜に叶はぬ事がある。時宜の二字をグテとよませ候。伊達する心にてなければ、時宜はならずとなり。
新字:気前を見せ伊達する心でないと、時宜に叶はぬ事がある。時宜の二字をグテとよませ候。伊達する心にてなければ、時宜はならずとなり。
書き下し
気前を見せ伊達(だて)する心でないと、時宜(グテ)に叶わぬ事がある。時宜の二字を「グテ」と読ませ候。伊達する心にてなければ、時宜はならずとなり。
現代語訳
思い切って気前のよさを見せ、颯爽(さっそう)と振る舞う心構えでなければ、その場にうまく適(かな)わないことがある。「時宜」の二字を「グテ」と読ませる。派手やかに振る舞う気概がなければ、その場にふさわしい対応はできないというのだ。
解説
場にふさわしく振る舞うには、思い切った気前のよさや華やぎが要る、と説く一条です。「時宜(グテ)」すなわちその場に適った対応は、萎縮した控えめな態度からは生まれず、颯爽と気前よく振る舞う心構えがあってこそ叶う、と常朝は言います。ここでの「伊達」は単なる見栄ではなく、場を明るくし人を動かす積極的な気位(きぐらい)を指します。葉隠はしばしば地味な自制を説きますが、一方で場に応じて堂々と華を見せる度量も武士の器量とみなしました。現代でも、遠慮ばかりでは場が縮こまり、機を逃すことがあります。ここぞという場面では思い切りよく前に出て、明るく振る舞う。萎縮を捨てた気前のよさが、その場を生かすという教えです。
この章句が説くこと
気前華やぎ場に適う積極性気位思い切り
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