葉隠 / 聞書第一
山崎藏人は一生仕舞物と名の附きたる物は取られず候。さて又町人の宅へ一生參り申されず候。誠に奉公人の嗜、斯様にこそありたく候。石井九郎右衞門も仕舞物仕られず候。近代の衆は仕舞物とさへいへば我先にと望を掛け、町人などの所へは無理に押掛け振舞致させ、店棚に調物に參り候事を慰みなどと取りなし候事、風儀惡しく、侍の本意にあらずと存じ候。
新字:山崎蔵人は一生仕舞物と名の附きたる物は取られず候。さて又町人の宅へ一生参り申されず候。誠に奉公人の嗜、斯様にこそありたく候。石井九郎右衛門も仕舞物仕られず候。近代の衆は仕舞物とさへいへば我先にと望を掛け、町人などの所へは無理に押掛け振舞致させ、店棚に調物に参り候事を慰みなどと取りなし候事、風儀悪しく、侍の本意にあらずと存じ候。
書き下し
山崎蔵人(やまざきくらんど)は一生、仕舞物(しまいもの)と名の附(つ)きたる物は取られず候。さてまた町人の宅(たく)へ一生参り申されず候。誠に奉公人の嗜(たしな)み、斯様(かよう)にこそありたく候。石井九郎右衛門(いしいくろうえもん)も仕舞物仕(つかまつ)られず候。近代の衆(しゅう)は仕舞物とさえいえば我先(われさき)にと望を掛け、町人などの所へは無理に押掛(おしか)け振舞(ふるまい)致させ、店棚(みせだな)に調物(ととのえもの)に参り候事を慰みなどと取りなし候事、風儀(ふうぎ)悪しく、侍の本意(ほんい)にあらずと存じ候。
現代語訳
山崎蔵人は生涯、払い下げ品と名のつく物には一切手を出さなかった。そのうえ、生涯町人の家にも足を踏み入れなかった。まことに奉公人のたしなみとは、こうありたいものだ。石井九郎右衛門も払い下げ品を手にしなかった。近ごろの連中は、払い下げ品と聞けばわれ先にと欲しがり、町人の家に無理に押しかけてご馳走をさせ、店に買い物に出かけることを娯楽のように言いなす。風儀が悪く、侍の本分ではないと思う。
解説
前条の主題を、実在の人物の身の処し方で示した一条です。山崎蔵人や石井九郎右衛門は、生涯「仕舞物(払い下げ品)」に手を出さず、町人の家にも出入りしなかった――その節度を常朝は「奉公人のたしなみ」と称えます。裏返せば、当時の武士が払い下げ品に群がり、町人にたかり、買い物を娯楽にする風潮への痛烈な批判です。利に近づかない、けじめを保つという自己規律こそ侍の品位だ、というのです。現代の言葉にすれば、立場を利用して得られる小さな役得を、あえて取らない矜持でしょう。取れるのに取らない、行けるのに行かない――その一線を自ら引けるかどうかに、その人の格が表れる。私利と距離を置く自制の美学を伝える言葉です。
この章句が説くこと
自制節度品位私利と距離けじめ矜持
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